●第一次世界大戦期と現代日本の共通点-1.バブル景気とその後の不況
皆さん、こんにちは。100年前の日本と第一次世界大戦との関係を、別な角度から今また考えてみます。特に、現在の中東情勢がアラブ諸国に限らずトルコについても、100年前の大戦とそれに関係する条約や協定の負の遺産と結び付いているのと同じように、100年前の歴史や事象を振り返ることで、現代の日本とのアナロジーを見出し、教訓を引き出すことができるのです。
今と似ている点の第一は経済です。第一次世界大戦に伴う戦争の景気は、成金を生みました。大戦開始の翌年、1915(大正4)年の後半から、日本経済は空前の好況に転じました。アジア市場からヨーロッパ製の商品が後退した後、一時的に日本が輸出市場を独占したからです。特に、鉱山、造船、商事の3業種は、花形産業としてうるおい、年5割、あるいは年7割といった株式配当をする会社も多くなりました。こうして、にわか成金、ヌーボー・リッシュともいうべき者たちが続出したのです。
日本政府と日本銀行の保有する金貨や金の地金は、1914年から1918年の間に、当時の邦貨で約3億4000万から約15億9000万に増加しています。この結果、第一次世界大戦まで約11億円の債務国であった日本は、1920(大正9)年には、27億7000万円以上の対外債権を有する債権国に転換しました。これによって、日本は農業国から工業国へ脱皮を図ろうとし、重化学工業の発展も見られたのです。
日本人にはよく知られた成金の風刺画があります。ある有名な船成金の話です。北海道の函館の料亭で大散財をした揚げ句に、帰る途中、彼は玄関で履物を履こうとしたところ、足元が暗くてよく見えなかった。そこで、懐から無造作に百円札の束を取り出した。当時の百円札は最高額の紙幣でしたが、その百円札を取り出して、そこで火をつけて足元を照らして見た、という絵で、実際にあった話のようです。
これほどではないにせよ、1986(昭和61)年から1991(平成3)年までのバブル景気の時代には、似たような成金風景が日本の一部で観察されたものです。1980年代後半には、東京都の山手線の内側の土地価格で、一説にはアメリカ全土が買えるというほど、日本の土地価格が高騰したと言われています。日経平均株価は、1989(平成元)年のおしまいには、史上最高値の38,957円44銭をつけ、資産価格のバブル化が起こったのは記憶に新しいところです。
資産価格の高騰による好景気は、株式や土地といった資産を持つ人に恩恵をもたらし、資産を持たない多くの人には恩恵が必ずしも及んだわけではなかったのです。このバブルの時も、一万円札などを振りかざして道方でタクシーを止めているような人たちがいたのを、思い返す人がいるかもしれません。そうしたバブルの崩壊は、さながら第一次世界大戦が終わって日本に訪れた反動不況を思わせるものがあります。バブル崩壊後の「失われた20年」と同じく、大戦後続いた長期の経済停滞から脱却するために、日本は長いこと苦しんだからです。
●第一次世界大戦期と現代日本の共通点-2.深刻な格差社会の出現
さらに、この第一次世界大戦後のにわか景気と今日のバブル崩壊後の長期の経済的な停滞がもたらしたもう一つの共通した側面とは、いわば深刻な格差社会の出現というものかもしれません。
第一次世界大戦後に起きた関東大震災や、2011年の3・11大震災の直後には、人々や社会の中に、人々の相互協力やある種の安定した平等性が大事だという意識も芽生えましたけれど、そうしたものがなかなか定着するには至りませんでした。第一次世界大戦後の景気の崩壊後、そしてバブル崩壊後の「失われた20年」においても、日本社会は格差の問題に直面することになったのです。
2007年の読売新聞の調査によりますと、すでに81パーセントの人が「日本人の間に格差が広がっている」と回答していたようです。中でもこの格差は、「業種や会社による賃金格差」が81パーセントに達し、親の経済力が生み出す教育格差、正社員と非正社員の賃金格差がこれに続いています。他にも、都市と地方との地域間格差を、60パーセントの人が感じているとのことです。
81パーセントの人が賃金格差を現実に感じており、地域間格差も60パーセントの人が感じている。これは「失われた20年」に進行した現実であり、第一次大戦後の不況期と類似の面を持っているのではないかというように、私たちの解釈の可能性をそそるのです。
●第一次世界大戦期と現代日本の共通点-3.先行き不透明な政界再編成の動き
また、100年前と似た側面は、学習院大学の学長の井上寿一さんの指摘でもありますが、新しい政党、政治シス...