●脳は大事だが、血液を冷やす場所だと長い間考えられてきた
まず、脳の詳しい働きを見ていく前に、脳研究の歴史をふり返っていきたいと思います。脳研究というのは大きく分けて三つの柱で支えられていると私は考えていまして、一つ目は脳障害の記述、二つ目は電気的な測定法です。三つ目が顕微鏡技術になります。これらを一つずつ見ていきたいと思います。
まず、私は脳を「ブラックボックス」と呼んでいます。ブラックボックスというのは、要は、中に何が入っているかよく分からない箱のことです。これに対して、人類はどういうアプローチをとってきたかというと、何か入力して、その出力を見るということをやってきました。
例えば、皆さんも手元に何が入っているかよく分からない箱があったら、とりあえず持ち上げてみて、振ってみて、その音を聞いたりしますよね。チャリンチャリンという音がしたら、そこには何か金属が入っているのではないかというように類推していくわけですけれども、実はそれは、そのブラックボックスの問題を解いていることになります。
脳も実は、頭蓋骨を開けて中を見てみても、そこには何があるかよく分からないので、とりあえず、脳に何か入力をして、その出力を調べるということがされてきました。
ここでいう入力とは、例えば、音が聞こえるとか目が見えるとかそういうことなのですが、一番よくやられてきたのは脳障害です。実は古代エジプト時代から、脳障害がある人の行動がどのように変化するかというようなことが観察されています。特に戦争で負傷した兵士がどのように行動を変化させるか、精神がどのように病んでいくかというようなことを詳細に記録した記述が残っています。これは、「エドウィン・スミス・パピルス」と呼ばれていまして、当時から脳は大事だということは知られていたようです。
ところが、時代は進んでギリシャ時代になると、「こころの座」というのはどこにあるかというと、心臓とか、それから子宮とか、そういう臓器にあるのではないかと考えられるようになりました。確かに脳は解剖してみても、何をしている臓器かというのは全然分からないわけです。
例えば、心臓だったら動いているので、これはポンプのような働きをしているのではないかと考えられますが、脳は開けてみても、本当に何をしているか分かりません。頭蓋骨を開けてみると、液体に浸っているので、何か血液を冷やす場所なのではないかと長年考えられてきたわけです。これはずっと続きまして、1800年代の後半くらいまで、脳は単に血液を冷やす場所だろうと考えられてきて、特に重要視されてきませんでした。
●「機能局在」の発見により見直された脳の重要性
脳が大事だと再発見されるきっかけとなった大きな事故があります。1848年、アメリカのある鉄道現場で大きな事故があり、3メートルくらいの鉄棒がフィニアス・ゲージという人(男)の左目を突き破って脳の前頭葉を破壊して貫通しました。命に別状はなくて、このフィニアス・ゲージは生きていたのですが、その後、彼の性格が一変したということが報告されています。
フィニアス・ゲージという人は、鉄道現場で監督を務めるくらい、人から信頼されるような人物だったわけですが、その事故の後、性格が一変して、将来性がなかったり、暴言を吐いたりするなど、本当に人が変わってしまったといわれています。この事件をきっかけに、脳の、特にこのゲージという人がけがを負った脳の前側の部分が、性格などに重要なのではないかと言われ始めたわけです。
同じ時代にヨーロッパのほうでは、言語に関して変わった症状を持っている患者さんが次々と発見されて報告されていました。ある患者さんは、言葉を発することができなくなるという症状を持っていて、言っていることは分かるけれど、自分で言葉を発することができないという言語障害です。この患者さんを後で詳しく調べてみると、脳の一部分に障害があるということが分かって、これを見つけたお医者さんの名前を取って、この部分は「ブローカー野」と呼ばれています。
それから、他の患者さんは、しゃべることはできるけれど、何を言っているかがさっぱり分からないというような、支離滅裂なことしか言えない人で、この患者さんも脳を開けて見てみると、ブローカー野とは別の部分が障害を負っているということが分かりました。これも発見したお医者さんの名前にちなんで「ウェルニッケ野」と名前が付けられました。
このように、脳のある部分が障害を負うと、例えば、言葉を発することができなくなるとか、そ...