「常に死者の目に見られている」という感覚が、かつての日本人の高潔な道徳心を支えている――。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、日本の祖先崇拝に古代ギリシャ文明と比肩する「理想の精神形態」を見出し、「神道は劣った宗教」「日本人は無宗教」という見方を鮮やかに覆していく。しかし一方で、近代化による資本主義や個人主義がもたらす破壊的な力で「道徳的な美しさ」が失われていくことに、切実な警鐘を鳴らしてもいた。外部の目だからこそ見抜けた、日本の宗教性の真髄とは何か。鋭い文明批評でありながら、日本への深い愛惜に満ちた『神国日本』に描かれるハーンの日本宗教観を俯瞰していく。(全8話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●日本の祖先崇拝は原始的でない…古代ギリシアの信仰との類比
―― それでは続きまして、頼住先生に、今度は「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の日本宗教観の特徴」について、ぜひ伺ってまいりたいと思います。これも『神国日本』の一節をまず読むところから始めたいと思いますが、ハーンが非常に強調しているのが、「日本の祖先祭祀の信仰というのは、原始的なものではないんだ」ということ。(『神国日本』の)いろいろな箇所でそれを強調していますが、非常に印象深い一節がこちらです。
《ここで社会学的見地から、日本の現在の祖先の祭祀を「原始的なもの」とするのは不当であって、それはペリクリーズ時代におけるアゼンスの家庭の祭祀を「原始的なもの」とする考えが誤りであると同じことである》(『神国日本』20頁)
このように言っているところですが、これは英語読みですけれども、日本的に言うと「ペリクレス」時代の「アテネ」。いわゆる古代ギリシャの最盛期ですが、その時代の家庭の祭祀を「原始的」と言うのと同じくらい間違っているのだ、というのです。ハーンは、随所に古代ローマやギリシャを例に引いていきます。これを読むとつくづく思うのですが、なかなかアメリカ人やヨーロッパの方々には、祖先祭祀や祖先崇拝というものは分からないものなのでしょうね。非常にくどくどと書いていますよね。
頼住 確かにそうですね。ハーンは母方がギリシャ出身ということで、ギリシャに対しては非常に親近感を持っていることがありました。古代ギリシャの文明というのは、ヨーロッパ文明の大きな源泉の一つになっておりまして、そことのつながりは、ハーンにおいては非常に重要なのです。「古代ギリシャにもこれがあった」ということは、彼の中で「正当性を持っている」という価値判断になってくるわけです。
「古代ギリシャにもあって、ヨーロッパのいちばん核心にあるものが、日本にも同じように存在するのだ」という言い方が、『神国日本』の随所に見られます。それはやはり、ヨーロッパのいちばん根幹をなしているところが、日本にも共通にあるという主張ではないかと思われます。
●日本宗教を「生活化された宗教」と捉える視点
―― ここから色々と読んでいくにあたりまして、ハーンの日本宗教...