ラフカディオ・ハーンが『神国日本』を書いたのは、ちょうど日露戦争の真っ最中のこと。多くの外国人にとっては、「なぜ日本人はこれほどまでに強いのか?」が興味関心の的でもあった。ハーンはその答えを、名もなき庶民の「精神力」に見出す。田んぼで働く農民や裏通りの職人たちの胸に宿る、自覚なき英雄主義。それは先祖を敬い、森羅万象に霊気を感じる「日本人の感性」から生まれる献身の心であった。この濃密な霊的空間で、日本人はどのように「正しく」生きようとしてきたのか。暴れ回るお神輿に宿る集団の意志、そして朝日に手を合わせる漁師の姿。ハーンは平田篤胤の「孝道」についての見解なども引用しつつ、日本人の倫理と信仰の美しき深淵を描き出していく。(全8話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●日本の英雄精神は「一般庶民の精神力」の中に存する
―― それでは続きまして、「日本人の倫理と宗教」というところで、お話を伺ってまいりたいと思います。ここもまず、ハーンの文章を読むところから始めたいと思います。まず、日本の倫理における宗教の重要性についての指摘です。
《日本のこの度の全く予期しなかった攻撃力発揮の背後に控えている精神力というものは、もちろん過去の長い間の訓練のおかげであることは全く確かである。(中略)
四千万人の集団に霊力を吹き込んだ意識しない英雄精神、――(中略)そうしたものは、皮相の観察では認知できないのである。
日本の真の力は、この国の一般庶民の――百姓とか漁夫とか、職人とか労働者とか――つまりわれわれの見かける田圃で根気よくひっそりと立ち働いている人たちや都市の裏通りなどで、つまらぬ手仕事か商売をやっている人たちの、精神力のなかに存するのである。この国民のあの自覚しない英雄主義の行為は、すべてこういう人たちのなかに存するのである。(中略)
日本人を論じて彼らは宗教には無関心だと説くほど、馬鹿げた愚論はまずあるまい。宗教は、昔そうであったように、今もなお相も変わらず、この国民の生命そのものなのである。――国民のあらゆる行動の動機であり、指導力なのである。すなわちこれは行動と艱苦の宗教であり、偽信心や偽善のない宗教なのである》(『神国日本』394~395頁)
というところで。これは第一話でもあったように日露戦争の時代の話なので、この冒頭の「予期しなかった攻撃力なり精神力」というのは、その世界を驚かせた日本の軍事的な行動について言っているというところでありますけれども、その背景にもこういう倫理があるのです、というところですね。
頼住 そうですね。日本人が集団になった時に非常に力を発揮するとか、自己犠牲的な精神を持っているとか、そういうことはなぜあるのかということを、ここでハーンは「それは辿っていくと宗教性に関わっているのだ」ということで非常に強く主張しているということになるかと思います。
―― このあたりは当時のアメリカ人、ヨーロッパ人には非常に興味のある「なんであんなに強いんだろう」というところだったんでしょうね。
頼住 そうですね。
●「孝道」こそが献身的な倫理の本質であり基盤
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