西洋人が驚嘆せざるをえない日本人の美しい倫理性。だがそれが成立してきた裏には、「強制性」や「恐ろしい側面」があったことを、ラフカディオ・ハーンは鋭く見抜いていた。死者の目に常に支配され、さらに集団の中でお互いの目も意識し、個性も競争も許されず、上中下のあらゆる方向から圧力を受ける社会。それは見方によれば不気味で恐ろしい社会である。日本の神道に経典や戒律がないのに、高い倫理性が実現していたのは、そのような裏面があったからなのだ。しかしハーンは、そのような姿を真正面から見据えつつ、「酷い社会」「遅れて劣った社会」などと斬り捨てることはしない。なによりそのような「裏面」によって成立している日本人の精神性や芸術的感性は、やはり西洋人には神さながらに見えるものだからである。(全8話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●日本の道徳の裏にある「死者や集団からの制約」…古代ギリシャとの共通性
―― 頼住先生、今見てきましたのが、どちらかと言うと神道なり祖先崇拝の「美しい部分」でございました。これまでの講義でも申し上げたように、実はハーンは、「負の側面」とまでは言えませんが、非常に「強制性」があったり、あるいは「恐ろしい側面」もあったりしたのだということを、辛口に書いているところもございます。その部分について見ていきたいと思います。
―― ここに挙げさせていただいたように、よく神道は「戒律や経典がない」と言われます。それこそ、戒律や経典がないから原始宗教なのだと、おそらくキリスト教の方からはそのような指摘もあったかと思います。しかし、ハーンはそこを逆手にとって、「実は、なぜ戒律が要らなかったのかと言えば、非常に強い強制力や抑圧性があったからなのですよ」ということを説いていくわけですね。
それがどのようなところか、読んでまいりたいと思います。まず、「幸福で平和な世界であるが集団から強制を受ける社会」であると。これが、これまでご指摘いただいたように、美しく、古代ギリシャに通じる話なのだということが書かれている部分でございます。
《三十年そこそこ前、まだ表面的変化が起こっていない時節に、この驚異の妖精の国に足を踏み入れ、そこの生活の世の常でない姿を眺める特権に恵まれた人々は、まことに至福と言わねばなるまい。(中略)
みんなが慇懃(いんぎん)であること、誰も喧嘩口論などをしないということ、誰もがにこにこ微笑していること、苦しみも悲しみも表情にはでていないこと、新しい警察は手もち無沙汰であること、すべてこうしたことは、道徳的にすぐれた人間性をもっている証拠になろう。しかし修練を重ねた社会学者には、それとは何かちがったもの、何かひどく不気味で恐いものを暗示することにもなろう》(『神国日本』322頁)
《そうした社会学者には、この社会は途方もない強制をうけながら型にはめて造られたものであること、そしてこの強制は何千年もの間格別の妨害なしに加えられたものであることが実証されるだろう。そこで彼は、道徳と慣習とはいまだに分離していないことや、各...