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世界最古の木造建築「法隆寺」その最大の謎とは?
7世紀に創建された法隆寺の西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築物群として、古代寺院の姿を今に伝えてくれます。1993年、姫路城とともに日本で最初に世界遺産に登録された寺院には、いくつもの謎があることでも有名。なかでも最大のミステリーとは?
聖徳宗第6代管長である大野玄妙氏が現代人に分かりやすくレクチャーされています。
しかし、このお寺をつくったのは誰、と問われると、誰もが聖徳太子と答えるでしょう。最初に建立を思い立ったのは、自らの病気平癒を願った用明天皇。彼の遺志を継ぐかたちで607年、推古天皇と聖徳太子が広大な伽藍を完成させたと伝わります。
ところが太子が没して48年後、彼の子孫である上宮王家の人々が滅びてからでも27年経った670年、この寺院が全焼したとの記録が「日本書紀」には残されています。つまり現在最も古いと言われる西院伽藍の建物は、その火災の後に再建されたということです。
では一体誰が、再建したのでしょうか。それが最大のミステリーだと、大野氏は言います。
広さ約18万7千平米の境内には、飛鳥時代を始めとする各時代の粋を集めた建築物が軒を連ね、目に付くほとんどのものが国宝や重要文化財と言えるほどです。なかでも、フェノロサが開かせたことで有名な夢殿の救世観音や金堂の釈迦三尊像は、太子をモデルにしたものと伝えられます。
つまり、焼失する前は上宮王家の「私寺」であったものが、再建されてからはその性格を変え、「聖徳太子をおまつりし、供養して、その思想や理想を世の中に広める」ことが目的となったのです。気になる点はもう一つあって、火災のときにご本尊たちはどこへ行っていたのだろう、と大野氏は首をひねっています。
貴族の女性たちは上宮王家が存在した頃からの援助を続行したものと考えられますが、各地の寺院や職人集団にとって、「太子をまつる寺」はどうしても必要でした。
それは、現代流にいえば、聖徳太子が産業と思想のインフラ整備を果たした人だったからです。
寺院を建立する際、当時の人々は「租庸調」の「庸」に従って全国から駆り集められ、労働力を供出しました。労働力として奉仕する一方で、彼らは当時では最先端の建築技術などに触れ、それを故郷へ持ち帰ることができました。太子は技芸の祖として尊崇され、中世以降さまざまな職人集団によって「太子講」などの太子信仰が営まれます。
真偽は定かではありませんが、太子が相模や伊豆などの東国にも多くの所領を持っていたとする説があります。造船技術によって栄えた相模や伊豆が、遣隋使を始めた聖徳太子を祖と仰ぐ気持ちにうそはなかったでしょう。
聖徳宗第6代管長である大野玄妙氏が現代人に分かりやすくレクチャーされています。
「七不思議」を超える最大のミステリーとは
奈良のガイドブックには、「法隆寺の七不思議」に触れているものがたくさんみられます。「クモが巣をかけない」「因可池(よるかのいけ)のカエルは片目がない」など、江戸時代に広められたらしい罪のないミステリーです。しかし、このお寺をつくったのは誰、と問われると、誰もが聖徳太子と答えるでしょう。最初に建立を思い立ったのは、自らの病気平癒を願った用明天皇。彼の遺志を継ぐかたちで607年、推古天皇と聖徳太子が広大な伽藍を完成させたと伝わります。
ところが太子が没して48年後、彼の子孫である上宮王家の人々が滅びてからでも27年経った670年、この寺院が全焼したとの記録が「日本書紀」には残されています。つまり現在最も古いと言われる西院伽藍の建物は、その火災の後に再建されたということです。
では一体誰が、再建したのでしょうか。それが最大のミステリーだと、大野氏は言います。
私寺から聖徳太子尊崇の寺院へ
この謎は、しかし「何のために」を考えると、ほぐれてきます。今ある金堂や夢殿が、どのように扱われているか。また、江戸時代の廃仏毀釈の時代にも参詣人を集めていたのはなぜかをみればよいのです。広さ約18万7千平米の境内には、飛鳥時代を始めとする各時代の粋を集めた建築物が軒を連ね、目に付くほとんどのものが国宝や重要文化財と言えるほどです。なかでも、フェノロサが開かせたことで有名な夢殿の救世観音や金堂の釈迦三尊像は、太子をモデルにしたものと伝えられます。
つまり、焼失する前は上宮王家の「私寺」であったものが、再建されてからはその性格を変え、「聖徳太子をおまつりし、供養して、その思想や理想を世の中に広める」ことが目的となったのです。気になる点はもう一つあって、火災のときにご本尊たちはどこへ行っていたのだろう、と大野氏は首をひねっています。
思想と産業のインフラ整備を果たした聖徳太子
再建された目的を「聖徳太子をまつるため」と考えれば、「誰が?」の正体には複数のパトロンが存在したと考えられます。例えば、当時の貴族の女性たち、各地の寺院、そして職人集団です。貴族の女性たちは上宮王家が存在した頃からの援助を続行したものと考えられますが、各地の寺院や職人集団にとって、「太子をまつる寺」はどうしても必要でした。
それは、現代流にいえば、聖徳太子が産業と思想のインフラ整備を果たした人だったからです。
仏教寺院は新しい思想と技術を持つ最先端集団だった
太子の仏教上の功績として筆頭に挙げられるのが『三経義疏』の執筆。それに先立って推古天皇に勝鬘経と法華経を講義したときのお布施として、太子は播磨国の100町の水田を寄進されたと記録されています。こうした土地を、太子は自分のものとせず、関わりのある寺院に寄進していきました。現代のビジネスでいえば、地方支社への投資といえるでしょう(当時、仏教はまだ日本に根付くかどうかの瀬戸際だったことをお忘れなく)。支社はもちろん太子の思想を広める役割を担います。寺院を建立する際、当時の人々は「租庸調」の「庸」に従って全国から駆り集められ、労働力を供出しました。労働力として奉仕する一方で、彼らは当時では最先端の建築技術などに触れ、それを故郷へ持ち帰ることができました。太子は技芸の祖として尊崇され、中世以降さまざまな職人集団によって「太子講」などの太子信仰が営まれます。
真偽は定かではありませんが、太子が相模や伊豆などの東国にも多くの所領を持っていたとする説があります。造船技術によって栄えた相模や伊豆が、遣隋使を始めた聖徳太子を祖と仰ぐ気持ちにうそはなかったでしょう。
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