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政権交代時の混乱にみるトランプとレーガンの類似点

トランプ政権と今後の世界情勢(2)新政権迷走の要因

白石隆
公立大学法人熊本県立大学 理事長
情報・テキスト
レーガン元大統領(右)
かつてレーガン政権では、国家安全保障会議の迷走が政権に混乱を招いた。一方、トランプ政権は、類似の組織を三つも抱え、人事レベルで出鼻をくじかれている。立命館大学特別招聘教授でジェトロ・アジア経済研究所長の白石隆氏が、ホワイトハウス体制の緻密な分析をベースに、現在の政権が抱える政治的混乱の原因と今後の見通しを語った。(全5話中第2話)
時間:14:46
収録日:2017/02/16
追加日:2017/04/15
カテゴリー:
≪全文≫

●ホワイトハウス運営の難しさ


 政権交代時にホワイトハウスが混乱する要因はいくつかあります。一つは、例えば政策や戦略の話そのものではなく、ホワイトハウスという組織、あるいはアメリカ政府の一番の頭脳の部分をどうマネジメントするか。これが、私が非常に大きな関心を持っている点です。

 この視点で見ると、確かにトランプ政権にはレーガン政権と似たところがあります。レーガン政権は8年続きましたが、その間にナショナル・セキュリティー・アドバイザー(NSA、安全保障担当補佐官)は6人代わりました。どんどん代わっていって、4人目のジョン・ポインデクスター氏の時に、イラン・コントラ事件が発覚します。

 この時は、ひょっとしたらレーガン大統領が弾劾されるのではないか、というほどの大変な危機でした。突き詰めていうと、その原因はナショナル・セキュリティー・カウンシル(NSC、国家安全保障会議)のマネジメントが駄目だったことです。この件について、ロナルド・レーガン大統領が知っていたかどうかはよく分かりませんが、彼自身はそうしたマイクロマネジャーではないので、知らなかったはずだと私は思っています。

 ともかく、NSCの一角で、政策を決めるはずの機関が政策の実施をやり始めていたのです。それが、オリバー・ノースという人が引き起こしたイラン・コントラ事件です。アメリカの武器をイランに売り、その利益をニカラグアの(反政府武装組織)「コントラ」という勢力にお金を渡していた、というとんでもないスキャンダルをやっていたのです。


●長官同士の調整すらままならなかった、初期のレーガン政権


 その後、後に国防長官になるフランク・カールッチ氏、そしてコリン・パウエル氏の2人が入って、この組織をやっと立て直します。しかし、この時代、ナショナル・セキュリティー・アドバイザーが、ほとんど何も調整できないのです。要するに「小物」なので、国防長官や国務長官と比べても格が全く違うのです。

 レーガン政権時、1年目は少しガタガタしますが、2年目になると国防長官にキャスパー・ワインバーガーという人が就任し、国務長官はジョージ・シュルツ氏でした。この2人は非常に仲が悪い。2人の間で入っているNSCのアドバイザーは、格の面でも知識の面でも、両者に対抗できません。

 レーガン大統領は、そういう対立に対して「はいはい」と言って調整するような人ではありません。だから、その確執の影響が政策のあらゆるところに出てきます。これが、レーガン政権の特に1期目、ミハイル・ゴルバチョフ氏が出てくる前に、米ソ関係が緊張する、非常に大きい理由になっています。

 例えば、SDI構想、要するにミサイル・ディフェンスの構想がありました。今ではミサイル・ディフェンスといいますが、ソ連が打ってきたICBMを、こちらで撃ち落とすというSDIのプロジェクトが発表されます。それが1983年ですが、国防長官も国務長官も、その演説(の原稿)を読むのは発表の1日前でした。そのぐらい、調整ができていなかったのです。トランプ政権も、そこはよく似ていることが発足から1週間たたないうちに見えてきました。

 マイケル・フリン氏が、就任直後に大統領補佐官を辞任してしまいました。国防長官と格が違いますから、おそらく自分とうまく話ができるような人間を国防省の中で入れ込もうとしたのでしょう。それでジェームズ・マティス国防長官にピシャリとやられたのです。ああいう顛末を見ていると、今のところトランプ政権は、レーガン政権の初期、特に最初の5年ほどと同じように、かなり混乱するのではないかという気がします。


●クリントン政権では、経済政策が外交政策をリードした


 もう一つ、レーガン氏と父ブッシュ(ジョージ・H・W・ブッシュ)氏の時代ですが、例えばレーガン時代はまだ冷戦の時代ですし、父ブッシュ大統領の4年間は、冷戦が終わる間際の4年です。だから、とても忙しかったのです。多分、父ブッシュ氏は4年が終わった時にくたくたに疲れていたのではないかと思います。

 その後、クリントン政権になるのですが、クリントン政権は、NSCと、ナショナル・エコノミー・カウンセル(NEC、国家経済会議)の両方をつくります。ヘンリー・キッシンジャー氏の元部下でキャリアの外交官だったアンソニー・レイク氏が、そこを辞めた後、もう一度戻ってきてNSCのアドバイザーになります。

 これに対してNECの委員長は、ゴールドマン・サックスから来たロバート・ルービン氏でした。クリントン大統領は、このルービン氏を圧倒的に高く買います。そのため、事実上NECが、対日経済政策も含めた全ての経済政策の決定機関になっていきます。

 ルービン氏の存在が極めて重要でした。彼は、官僚政治がどういうものかをよく分かっていたのでしょう。財務省に戻って財...
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