●水蒸気爆発で金肌を吹き飛ばす「水打ち」
質問 今、わら灰を半分ぐらい叩かれましたが、何のためですか?
松田 「水打ち」といって、水蒸気が爆発する力で金肌を取っているのです。私たちの年代の現代刀匠は普通、こんな雑な仕事はしないでしょう。もっと一から十まで丁寧です。真っ平らにしてから水打ちをしますし、酸化膜は絶対に残さないようにします。
私も親方から「金肌は絶対に残すな」と言われてきましたが、今では結構残っています。出来とはあまり関係ないことが分かってきたからです。弟子時代から今まで、とても無駄な仕事をしてきたものだと思いますし、今の私の仕事は、その頃と比べると、とても雑に見えると思います。
面白いことに、職人の仕事は、本当に上手な人の動きだと、どんな場面を撮っても絵になります。仕事の姿が格好悪いのは、下手な証拠です。それから、研ぎ師などは特にそうですが、上手な人の仕事は「眠くなる」ということがあります。リズムが一定していて変化がないからでしょう。砥石の音がコットンコットンと、見ていると眠くなってきます。やっている本人でさえ眠くなります。
私たちの修行時代は、「職人の仕事は、途中の段階もきれいでなければならぬ」と習いました。だから、こういう雑な仕事をすると、非常に叱られます。と言って、私は雑にやっているわけではなく、意味がないからあまり手間をかけていないのです。
やり方の分からないことに取り組んでいると、途中で「ああじゃないか」「こうじゃないか」という迷いがとても多くなります。だからうまくできないのですが、一方で「仕事はきれいにしないといけない」ということになっているのです。
●理屈が分かれば、仕事のやり方が変わる
松田 理屈が分かってくれば、手を抜くということではなく、影響の大小で大事な部分とそうでないところが切り分けられます。もちろん全部大事といえば大事ですが、現代刀の仕事と比べると、それほど手間をかけなくていいところと手間をかけるべきところが分かってきます。
今のように、一つ一つを丁寧に積んでいくという仕事を他では見かけません。私に言わせると、それが大事なはずだけどな、と思います。
私のやり方をテレビで放映して、他の刀鍛冶は真似するかというと、まずやりません。人の仕事を見て盗むということは、若い人がやるとまず失敗します。理由が分からずにやるからです。
今の私の仕事は、「フクレ」をつくっているようなものです。「フクレ」というのは、鉄と鉄を合わせた隙間がくっ付かず、空気が入ることを言います。一旦フクレが出ると、最終的に焼きを入れて刀にしても、ぷくっとふくれてくるわけですから、それをなくすのが大変なのです。でも、私はフクレが出ても構わないと思ってやっています。
ちなみに、フクレの原因としては、先ほど言った「酸化鉄が残っている」とか「平らじゃないから隙間ができる」と考えるのですが、これだけ叩いていて隙間ができると考えること自体がおかしいのです。ただ積んでいくだけだと隙間だらけですから、フクレの原因になります。だから、映像で見た通りに真似をしようとすると大体失敗するのです。
●「下鍛え」に用いる「わら灰」の準備
松田 これを3枚合わせて「鍛え」に入ります。
「上鍛え」では、一旦冷やしてから和紙をかぶせ、満遍なく泥をかぶせていきます。「下鍛え」ではそこまで神経を使わなくてもいいのではないかと思って、こんな感じでやっています。
さて、これからが「下鍛え」です。最初のうちは、「ノロ」という残りかすがいっぱい出てきます。今の大きさで多分2.2~2.3キロ、多くても2.4キロ以内だと思います。それを沸かすのに、大体1時間かかります。もちろんもっと早くできますが、これまでにつくってきた刀の状態から逆算して、このぐらいの「沸かし」時間が必要だろうと考えています。
自分が弟子時代、親方と一緒にやる仕事は、わらを灰にするところぐらいです。この倍ぐらいの量を使い、なるべく風をおこさないよう、燃焼してしまわないように灰に焼いていきます。
燃焼すると、灰が白くなってしまいます。ここでは黒い灰を残すために、気を付けています。こうやってわらを上げると燃え上がるので、叱られます。静かに載せていくと、きれいに黒くなります。今どき、こんなに原始的な仕事があるのです。
灰が白いか黒いか、私たちは今それほどこだわりませんが、焼き物の人はとてもうるさく言うそうです。灰が白いか黒いかで性質が違うからです。釉薬の関係でわらが使われるのですが、「絶対黒でないといけない」「絶対に白くないといけない」といった決まりが結構あるらしいのです。
●柔らかい炭は、実は炭を焼いて失敗したときの産物
松田 今、火床の奥の方が...