●日本は人為的に多様性を高めていくしかない
第2の壁は、多様性のマネジメントです。グローバル化していく中で今、ダイバーシティが欠如しているとよく言われます。確かに、日本はその通りでしょう。ただしその際、どこと比べて多様性がないと言われているのかを考えなければいけません。一つにはヨーロッパです。考えてみると、ヨーロッパは狭い所に国が地続きになっていて、文化や言語の違う人たちが昔からずっと暮らしてきて、絶えず戦争を繰り返してきた場所です。したがって、多様性の問題は天然のものです。朝起きれば呼吸をするように、多様性問題を肌で感じてきた人たちです。だとすれば、ダイバーシティがうまくなって当然でしょう。他方、日本はアメリカとも比較されます。アメリカは人工国家です。国ができた瞬間にデフォルトが多様性です。当然、国内に多様性問題が深く組み込まれているわけです。
ヨーロッパやアメリカに比べて、日本は全然状況が違います。地理的にも歴史的にも文化的にも社会的にも、多様性があまりない国です。それをとやかく言うのは、私に言わせれば、地震のない国の耐震設計のようなものです。地震がなかったのだから、耐震設計ができていなくて当たり前でしょう。したがって、日本では人為的に多様性を高めていくしかありません。
ただし、ダイバーシティを強調する人の中には、結構うさんくさい人も多いのではないかと私は疑っています。
もちろん私の偏見ですが、そういう人たちは多様性それ自体が目的になっている節があります。少なくともビジネスでは、多様性の先にある成果に向けて多様な人たちを統合していくということが、経営の腕の見せどころです。単純にどう統合するのかという話になると、やたらとアメリカンスタンダードみたいなものが出てきます。確かにそれはよく分かります。あれだけの強国で、英語が母国語で、100年近くにわたって資本主義をリードしてきた国です。当然彼らは、宣教師的な行動を取ります。日本が逆の立場になったと考えても分かりますが、自分たちが一番だと思うのは当然です。ただし、あくまでも統合が経営の質なのであって、多様性自体は第一の目的ではありません。
●一人一人が好き嫌いを表明し、それを経営として活用するべきだ
ある組織が組織として必要である理由は、そこにいる人たちがそれぞれに違ったことが得意だということにあります。皆が同じことが得意だと、組織として存在する必要はありません。つまり、こういう話が前提において間違っていると思うのは、すでにそこに多様性はあるのです。今言われているのは、まず初期条件が一様であり、一様だからこそ多様性が必要だということです。しかし本当はそうではなくて、多様性はすでに今あるものだと思うのです。
実際、一人一人、好き嫌いは違うでしょう。好き嫌いが違うと、それをインクルージョンするだけでこれが多様性になります。
したがって、得意なことが違う人がお互いに助け合う関係、補完的な関係が生まれて初めて、組織として意味が出てくるでしょう。好き嫌いがトップと違うということは、まさに組織として健康なことです。
ただし、人々の好き嫌いが違って、得意なことが違っても構わないのですが、組織である以上、この一点では争わないということが絶対に必要でしょう。そしてそれは、どう考えてもトップの好き嫌いに左右されることになるはずです。俗にいうミッションです。自分たちはそのためにこういった会社をつくっているという、その前提では争わないということです。
ただし、その他の点では、なるべく一人一人が自分の好き嫌いを表明して、それを経営として活用すべきです。絶対その方が一人一人にとって、得意だからです。しかも非常に低コストで済みます。研修費を使わなくてもいいのです。好きなことだと、社員が勝手にやるからです。私はそれが良い経営だと思います。
●良し悪し族と好き嫌い族のせめぎ合いが起きている
世の中において、好き嫌いと良し悪しは、氷山の一角のような関係にあります。普遍的な価値観が良し悪しです。好き嫌いが大切だといっても、人殺しが大好きだという話になれば別です。これは良し悪しです。人殺しは悪いことなんです。ただし、ほとんどの価値は局所的なものです。例えば、天丼とカツ丼のどちらが好きというのは、人に局所化された良し悪しです。「私は天丼が好きです」と言っても、やっぱりカツ丼の方を好きになれと強制されることはありません。これを好き嫌いと言っているわけです。
今世の中で起きているのは、良し悪し族と好き嫌い族のせめぎ合いという現象のように思います。この海面を下げて、普遍的な価値として皆...