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黄巾の乱…張角が掲げた16文字のスローガンの意味

「三国志」の世界とその魅力(2)董卓と二袁

渡邉義浩
早稲田大学常任理事・文学学術院教授
情報・テキスト
董卓
早稲田大学文学学術院教授の渡邉義浩氏による広大な三国志の世界観を基礎から学ぶシリーズ講話。第2回目は黄巾の乱による後漢末期の混乱から、董卓、二袁といった人物が台頭し、勢力地図が次々と塗りかえられていくさまを、地図や図表などを用いながら、テンポよく解説する。(全6話中第2話)
時間:14:05
収録日:2017/11/10
追加日:2018/02/01
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≪全文≫

●黄巾の乱と16文字のスローガン


 こんにちは。早稲田大学文学学術院の渡邉義浩と申します。今回は董卓(トウタク)と二袁(ニエン)ということで、三国時代の始まりとなっていく後漢末の混乱について、お話ししていきたいと思います。

 400年間続いてきた漢という国家ですが、次第にその支配は乱れていきます。その結果として184年から起こっていくのが「黄巾の乱」と呼ばれるものです。歴史とは、勝った側が編纂していくので、敗れた側の方は「乱」と見なされ、黄巾は悪者扱いされるわけですが、黄巾には黄巾の理想、目指すところがありました。

 具体的に黄巾とは、張角という人が太平道という集団を率いて始めたものです。その張角の太平道は「蒼天已(すで)に死す、黄天当(まさ)に立つべし。歳は甲子に在り、天下大吉なり」という16文字のスローガンを掲げて反乱を起こしています。つまり、この16文字の中に彼らの理想とする世界観が出ているのだ、と考えることができると思います。

 16文字の後半は割に簡単です。「歳は甲子に在り」、この甲子というのは暦の始まりの年なのです。この時すでに十干十二支という暦がつくられていて、60通りの組み合わせになります。現在でも60歳になると還暦といいますが、これは暦が一回転するからです。その一回転した最初の年が「甲子」の年であり、暦が変わっていくため革命の年、さまざまなものがあらたまっていく年であると考えられていたのですが、それが184年にあたっていたわけです。ですから、この甲子の年に蜂起をしたということです。その結果、「天下大吉」あるいは「天下大いに吉なり」、つまり天下が幸せになっていく、ということなので、後半に書いてあることは難しくはありません。


●蒼天、黄天が示す漢時代の終焉


 前半の「蒼天已に死す、黄天当に立つべし」が、かなり学会でも議論があるところなのです。「黄天」というものが立つといっているので、この黄天が彼らの理想であることは明らかです。そして、この黄天は黄天太一、つまり宇宙神なのです。儒教が、中国の国の宗教となる以前に尊重されていた「太一・太乙(たいいつ)」という宇宙の神さまがいるのですが、その太一神というものを復興しようとする、それが黄巾の理想だったと思います。

 それに対して、倒されていこうとする「蒼天」、青々とした天下がすでに死んでいるのだという、この「蒼天」がよく分からないのです。どうしてよく分からないのかというと、中国には陰陽五行という思想があり、「木火土金水(もっかどごんすい)」という形で王朝が移り変わっていくと考えられています。そして、漢は火の王朝、火徳の王朝です。シンボルカラーは赤。青ではないのです。その赤に代わるもの、火徳の王朝の次に出てくるのが、土徳の王朝ということで土徳はシンボルカラーが黄色。だから黄巾となり、これは非常に分かりやすいのです。あるいは魏という国家は黄初元年、「黄色が始まる」という意味の元号から始まっていますし、呉は黄龍元年、「黄色の龍が現われる」という元号を付けています。ちなみに、蜀は漢を継承するので、蜀の最後の元号は炎興、つまり炎が燃え上がる、火がもう一度燃え上がるのだという意味の元号とともに滅んでいくので、結構寂しいわけですが。

 そのようなことを考えたときに、「蒼天」、青々とした天下は何なのか、今ひとつよく分からないと思います。これは私だけの説なのですが、私は蒼天が『詩経』という儒教の経典の中で昊天(コウテン)上帝、つまり最高神として描かれているので、それを指しているのだろうと考えています。つまり、それは儒教によって守られている漢そのものでもあるわけですが、その儒教に守られている漢がつぶれ、太平道に基づく黄色い天下が始まっていくのだ。このようなことを黄巾は述べて立ち上がっていった。それが黄巾の乱と呼ばれるものだということです。


●後漢の軍事力を代表する幽州突騎、丹陽兵、涼州兵

 
 しかし、反乱直後に張角という指導者が亡くなってしまいます。これは非常に大きなことです。それからもう一つ、後漢は前漢に比べるととりわけ軍事力が強い国家ではないのですが、それでも統一王朝ですので、やはり強力な軍事力を持っていました。 

 どの辺りに強力な軍事力が置かれていたのかというと、こちらは三国時代の図ですが、これを漢と考えていただくと、漢にとって守らなければいけないところは、外国に接するところが基本となります。まずは朝鮮半島に接しているところです。万里の長城がひかれているところでもありますが、ここには烏桓(烏丸、ウガン)という異民族がいます。その烏桓という異民族を取り入れた烏桓突騎、あるいはここは幽州という州なので幽州突騎ともいいますが、これを騎兵とした非常に強力な軍隊を持っていました。...
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