●ブランドという言葉をあえて使わない
ブランドとは何かということを話し合うと、議論百出の状態になってしまいます。クイックアンサーの一つとしてお勧めできるのは、ブランドという言葉を使わないようにするということです。もちろん『ブランド戦略論』(有斐閣、2017年)の中では、この問題を扱ってはいるのですが、普通の人がブランドとは何かを話し始めると、それだけでややこしい議論になってしまいます。
「ブランドとは何か」と問わず、例えば「自社の商品をどのように思われたいのか」と考えてみるのです。そうすれば、消費者には今このように思われているけれども、それをこういうふうに思われるようにしましょう、といった議論になるはずです。これはブランドでいうポジショニングという考え方ですが、それを平たく言ってみるのです。
あるいは、インターナルブランディングということもよく言われています。会社の中の組織をブランドによってまとめるということです。この場合も、ブランドという言葉を使わずに、「社内の意識を統一して考えましょう」と言い換えることができます。このように、ブランドについて語るためには、ブランドという言葉をあえて使わずに議論した方がいいことがあります。
●はとバス「なら」できる、はとバスに「しか」できない
例えば、はとバスという会社はご承知のように東京都内の観光を得意としていますが、一時期かなり低迷した時期がありました。そこでブランド活動を行い、乗客へのサービスのクオリティを向上させようとしました。しかしその際、ブランド活動とは言わずに、「ならしか運動」と言っていたのです。「ならしか運動」とは、もちろん奈良のシカではなく、はとバス「なら」できる、はとバスに「しか」できないことをしようというプロジェクトです。
そうすると、はとバスの運転手やガイドさんが、「はとバスにしかできないこと、はとバスならできることをお客さんにすればいいのか、それは何だろう」と考え始めるわけです。これはブランドということを、ブランドという言葉を使わずに考えている例です。こうしたことを参考にしていただければと思います。
●ブランドは表層的であると同時に本質的でもある
次にクイックアンサーの2つ目です。確かにある面で見ると、ブランドイメージという言葉があるように、中身は悪くてもイメージさえ良ければいいという考え方がなくはありません。ただし、『ブランド戦略論』の中でも書いているように、ブランドは表層的であると同時に本質的でもあります。一見矛盾しているような考え方ですが、私のロジックは次のようになっています。
ブランドが生まれるときに注目してみましょう。近代ブランドの場合、ブランドが生まれるのは、何らかのイノベーションに基づいていることがしばしばあります。イノベーションとは、それまで全くなかったような在り方が新しい在り方として変わるという現象のことです。
例えば、スマートフォンは一種のイノベーションでしょう。iPhoneが初めて発売されたのは2007年ですが、面白いことに、当初はあまり注目されていませんでした。iPhoneが出たとき、関係者や評論家の多くはこんな商品がはやるわけがないと言っていたのです。しかしそれがいつの間にか、誰しもがiPhoneなりAndroidなりを使っているという世界になってしまいました。このようにわれわれの生活を変えるものが、イノベーションだと言えるでしょう。
もう少し正確に言うと、イノベーションとは生活のパターンを変えるということです。グーグルはミクロな時間という言い方をしていましたが、われわれは朝起きてまずはスマホを見る、ちょっと空いた時間にもスマホを見る、こうした癖がついています。これはスマホができて初めてわれわれが身に付けた、一種の生活のパターンです。
●「起源の忘却」こそが、ブランドの成立にとって重要である
こうしたイノベーションが起きると、ある種のブランドができることがあります。つまり、技術力なりマーケティング力が介在してブランドが作られます。しかし、話はそこで終わりではありません。本当にブランドができるためには、あるいはブランドが変わっていくためには、さらにその後が重要になります。それは、最初に起きた技術やイノベーションから離れて、ブランドが勝手に独り立ちしていくというプロセスです。
例えば、マクドナルドがその典型です。マクドナルドの創始者のことを描いた『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』という映画が2017年に公開されましたが、多くの方は、マクドナルドがどのように生まれたのか知らないでしょうし、関心は少ないかもしれません。要するに、ブランドがどうやって生まれたのかは、われわれ消費者にとっては関係がないのです。
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