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偉大なブランドには根本に「構想」がある

ブランド戦略論をどう読むか(3)ブランドの構想

田中洋
中央大学名誉教授
情報・テキスト
ブランド戦略には経営やマーケティングの力も欠かせない。ブランドの根本にある構想を思い付くことができるかは、一つの大きな勝負だ。中央大学ビジネススクール大学院戦略経営研究科教授の田中洋氏が、ディズニーやレッドブル、住友不動産、無印良品の事例から、ブランドの構想について解説する。(全7話中第3話)
時間:07:14
収録日:2018/01/15
追加日:2018/04/01
タグ:
≪全文≫

●ブランドの構想が生まれるかどうかが重要だ


 『ブランド戦略論』(有斐閣、2017年)の中では、ブランド戦略の構造についても説明しました。ブランド戦略は氷山のようなものです。

 ブランドとしてわれわれに見えているのは、シンボルやマーク、キャラクターです。これは企業のコミュニケーションの力によって、見えているものです。しかし、氷山の90パーセントが水中に隠れているように、ブランドも見えない部分で経営やマーケティングの力に支えられています。見えている部分も大事ですが、それを見えないところで支えている経営やマーケティングも重要です。

 私の本の中では、経営からコミュニケーションまでを順番に解き起こしていき、プログラムのようにブランドを構築するプロセスを提示しました。今回はその最も根本的なところをお話しましょう。それを私はブランドの構想と呼んでいます。重要なことは、何らかの直感によって、ブランドの構想が生まれるかどうかです。


●ウォルト・ディズニーは当初から壮大な構想を描いていた


 上の図はディズニーレシピというものです。これは、ディズニーランドで有名なウォルト・ディズニーが1957年に考えた、一番最初の事業の構想です。中心にあるのは、映画です。

 映画を中心に、ハブになる部分が複数あります。ディズニーランドやテレビがそうです。1957年当時から、彼はテレビを非常に重視していたことが分かります。さらに、マーチャンダイジング、つまり人形などのグッズです。ミュージックや出版、漫画もあります。ディズニーの構想は、このようにネットワーク上に広がっています。

 ウォルト・ディズニーが一番最初にディズニーランドやミッキーマウスを思い付いた時、すでにこうした構想が頭の中に描かれていました。彼は最初にカリフォルニアにディズニーランドを作り、のちにフロリダにディズニーワールドを作ります。ディズニーワールドの完成前に亡くなっていますが、彼の構想はやはり非常に壮大です。


●偉大なブランドができるときには、根本に構想がある


 ここで注目したいのは、偉大なブランドができるときには、その根本に何か構想があるということです。いくつか他の例を挙げましょう。例えば、レッドブルはエナジードリンクとして有名ですが、これを最初に思いついたのはディートリッヒ・マテシッツ氏というオーストリア人です。

 1980年代、彼はユニリーバの関係のマーケティングの仕事をしていました。タイに出張した際、あるニュースを読みます。それは日本からのニュースでした。今のようにプライベートな情報を隠すという世の中からすれば驚くべきことですが、当時日本では、税務署が高額所得者のリストを発表していました。そのニュースは、高額所得者の第1位が大正製薬の上原正吉会長だったと報じていたそうです。

 マテシッツ氏はこれを読んですごく驚きます。日本といえば家電や車だと思っていたのに、製薬会社の会長が高額所得者の第1位だったからです。そこでマテシッツ氏はその理由を調査し、大塚製薬がリポビタンDを作っている会社だと気付きます。そこから、レッドブルを構想したというのです。

 あるいは、かつて住友不動産は「新築そっくりさん」という商品を販売していました。1995年、阪神・淡路大震災の時期です。新築そっくりさんとは、要するにトータルリフォームのことです。つまり、家を丸ごとリフォームするという事業なのです。阪神・淡路大震災では、家が倒れて圧死された方が多数いました。これを見ていた当時の住友不動産の社長が、古い家を地震があっても壊れないような家に造り変える事業を思い付いたのです。


●商品の品質をむしろそぎ落としてシンプルにする


 無印良品も、ある構想からスタートしています。1970年代、セゾングループの元会長・堤清二氏がシカゴにあるシアーズという百貨店の本社を訪れました。彼はそこで驚くような風景を目にします。シアーズでは、日本から輸入されたカメラの性能を、わざとダウングレードして売っていたのです。

 日本のカメラは、当時も今も非常に高度で高級ですが、それがアメリカの消費者には向かないというのです。具体的にいえば、カメラのシャッタースピードです。日本製カメラの500分の1というシャッタースピードは、アメリカの消費者には向かないから、精度を落として売られていたのです。

 そこから堤氏がヒントとして得たのは、商品の品質をむしろそぎ落としてシンプルにすれば、もっと新しいビジネスができるのではないかということでした。もちろん、後に無印良品はもっといろんな発展を重ね、今のような姿になっていますが、シンプルにそぎ落とすという発想は、もともと...
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