●ココ・シャネルは非常にセルフブランディングに長けていた
川島 私は30数年間、ファッション業界と近いところで働いていました。たまたまですが、エルメス関連の取材をしたり、昔からシャネルが好きだったこともあり、そうしたことから、ファッション業界はブランドが大きな力を持つ産業ではないかと考えています。実際、ファッションとブランドはかなり密接な結び付きを持っています。
また、浮沈も激しいという特徴があります。特に気になっているのは、最近のコングロマリット化の中で、大きくもうけるためにブランドを使うという構図が色濃く表れてきているということです。ブランドを客観的にこれほど深く掘り下げている田中先生は、ファッション業界をどのようにご覧になっていますか。
田中 確かにファッションの業界では、ブランドが重視されています。しかし私が見る限り、ブランドについてはファッションの業界からさほど多くのことが学べるわけではありません。もちろん、シャネルで働いていた人に取材をしたこともありますし、ルイ・ヴィトンらの本も読んだことはありますが、ブランドに関して得られるものがほとんどないのです。
川島 面白いブランドは一つもありませんでしたか。
田中 いえ、私がほとんど唯一知識を持っているというか、関心があるのがシャネルというブランドの在り方です。釈迦に説法ですが、ココ・シャネル(本名はガブリエル・ボヌール・シャネル)というデザイナーが始まりです。シャネルは1883年に生まれ、1971年に87歳で亡くなりました。長生きした方だといえるでしょう。
シャネルがブランドになった一つの理由は、彼女が非常にセルフブランディングに長けていたということです。これは私の解釈です。例えば1920年代、映画『巴里のアメリカ人』に描かれた時代ですが、当時シャネルはピカソやジャン・コクトー、ストラヴィンスキーといったパリの知識人らと付き合っていました。いろんな演劇の背景などを作ったりするということもあったようです。こうした交際関係が当時のジャーナリズムに取り上げられて、シャネルを有名人、今でいうセレブにしたのです。
●シャネルはとりたてて際立った存在ではなかった
田中 もう一つの理由は、少し誇張して言うと、シャネルが競争相手を蹴落としたということです。確かにココ・シャネルは、女性の19世紀的なファッションの在り方を20世紀的なものへと変えたとしばしば言われますし、実際そうなのでしょう。しかし、当時の同時代人のファッションデザイナーの中で見ると、シャネルは取り立てて際立った存在ではありませんでした。
例えば、エルザ・スキャパレリという、オートクチュールのデザイナーがいます。イタリア人で、ショッキングピンクを世に広めた人です。彼女はシャネルとほとんど同じ時代を生きていて、同じ1970年代に亡くなっています。ただし、リタイアしたのはシャネルよりもずっと早い時期でした。当時の評判では、シャネルより才能があると言われていました。
川島 ただし、すぐに人気がなくなってしまったようですね。
田中 そのようです。ただし、今にしてスキャパレリのファッションを見ていると、例えば「メタ・ガーメント(Meta Garments)」などは、大変クリエイティブなデザインです。
川島 洋服にトロンプ・ルイユのようなだまし絵が描かれたものですね。
田中 当時としてはスキャパレリの方がシャネルよりも才能があると言われていたようです。しかし、最近になってスキャパレリが再評価されているようですが、ブランド化はしませんでした。それはスキャパレリが早く引退してしまったからでしょう。アメリカにも渡ったようですが、ぱっとせず、フランスに戻ってきたということです。
さらに、ココ・シャネルが嫉妬したという噂もあり、ココ・シャネルがいじわるをしたのではないかという説があるようです。
川島 お互いに嫉妬し合っていたでしょうね。勝ったのはシャネルだったということですね。
田中 そして、パーティの席でシャネルがスキャパレリに硫酸をかけたという、本当かどうか分からない神話もあります。それだけの嫉妬を買うほどの才能だったということでしょう。
川島 そうですね。今の時代でもクリエーター同士の競争はありますし、クリエーターの数がもっと限られていた時代では、それがより激しかったでしょう。怖い世界です。
今回の打ち合わせの際に、先生とお話していてはっと気付かされたことがありました。女性の方はご存じでしょうが、シャネルには伝説のようなストーリーがいくつもあります。18世紀的なコルセット、体を締め上げてきゅっとウエストを細く見せる服から、女性の体を解放したのはココ・シャネル、男性が着ていたジャージ、あの伸び縮みする着やすい素材を初めて女...