10MTVオピニオン|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録
10MTVオピニオンは、有識者の生の声を10分間で伝える新しい教養動画メディアです。
すでにご登録済みの方は
このエントリーをはてなブックマークに追加

大政奉還を行った徳川慶喜の意図と新政府の成立

幕末・維新史を学ぶ(4)大政奉還と新政府の成立

落合弘樹
明治大学 文学部史学地理学科専任教授/博士(文学)
情報・テキスト
大政奉還
大政奉還を行った徳川慶喜の意図はどこにあったのか。そして、鳥羽伏見の戦いで徳川慶喜の狙いは頓挫するが、なぜそうなったのか。新政府成立への流れを追いながら解説する。(全6話中第4話)
時間:15:57
収録日:2018/08/20
追加日:2018/11/01
≪全文≫

●徳川慶喜による幕府の立て直しと兵庫開港問題


 今回は、大政奉還と新政府の成立について説明します。

 前回説明したように、幕府は長州一藩との戦争に敗北してしまいました。これは、幕府にとっては非常に致命的な事態だったわけですが、新たに将軍となった慶喜の下で急速に幕府の立て直しが図られていきます。例えば、フランスから軍事顧問団を招いて軍制改革を行うなど、いろいろな措置が講じられるわけです。



 一方で有志大名たちからすると、これは最後の勝負時でした。この当時、大きな問題となっていたのが、長州藩に対する対応です。国内においては、幕府が征長に失敗してしまいましたので、そうなると、長州藩に対する処分を今後どうするのかといえば、これを解除せざるを得ません。

 もう一つ、孝明天皇は条約を勅許したのですが、ここにも問題が残っていました。孝明天皇の条約勅許には一つ条件があって、今の神戸港に当たる兵庫だけは開港しないというものでした。横浜あるいは長崎は、京都から見ればまだ遠距離です。ですが、兵庫ないし神戸といえば、京都から見て目と鼻の先であり、この開港だけは認めませんでした。孝明天皇は前の年の暮れに亡くなるのですが、これが遺言として残っていたのです。しかし、この当時の日本の最大の商業都市は大坂でした。この大坂に隣接する兵庫、つまり今の神戸の港は、外国にとっては絶対に押さえたい貿易港であり、しかも条約によって開港すると明記されていました。


●徳川慶喜による兵庫開港問題の解決と西郷隆盛の出兵画策


 外国に対して兵庫開港を拒絶するわけにはいかないので、この問題をどう解決するかが課題となりました。そこで動いたのが、島津久光、松平慶永、山内豊信、それから伊達宗城など、安政期以来活躍してきた大名たちです。ただこの中では、久光は少し後から加わりました。彼らは幕府に対して、長州藩の処分を解除するならば、兵庫を開港できるように公家たちを説得しようという方針を示します。さらには、今後いろいろな形で重要問題の決定に加わっていけるような構造をつくろうとしました。

 しかしながら、この問題を慶喜は自力で解決してしまいます。あくまでも大名を政局の中枢に介入させないという姿勢を示したのです。こうなると、薩摩藩あるいは土佐藩としては、慶喜に屈するのか、あるいは政治の状況をもう一回変えていくのか、二者択一という形になるわけです。

 西郷隆盛は、もはや殿様に任せきりではどうにもならないということで、他の藩の有志たちと議論します。西郷と土佐藩の後藤象二郎は、慶喜に政権を返上させて、その上で公議政体を確立しようとします。しかし、慶喜が簡単に権力を明け渡すとは思えません。そこで、薩摩藩と土佐藩は共同出兵をして、その兵力を背景に慶喜を排除しようと考えます。しかし、この共同出兵については、「堂々たる正論を実行するのになぜ兵力の威圧が必要なのか」ということで山内豊信(容堂)はあくまでも建白だという考えだったため、土佐藩は兵力を出しませんでした。

 こうなると、薩摩藩は土佐藩の次の相手を選ばないといけません。そこで選んだのが、まずは長州藩、それから芸州藩つまり広島です。薩長芸で三藩の出兵盟約がつくられて、京都と大坂を同時攻撃する、さらには関東から援軍が送られないように後方攪乱する、そういう奇襲のプランが立てられるのです。ただし、これはもし失敗したら以前の長州藩の二の舞になるということで、それぞれの藩の中から慎重論が出て時期を逸した結果、中止になるわけです。


●大政奉還・王政復古と徳川慶喜の処遇問題


 その後は、堂々と藩主が自ら出兵上京をすることが行われます。ここでは、長州藩はまだ朝敵の扱いなので、当てにはなりません。やはり中心になるのは薩摩藩だということで、薩摩藩主の島津茂久自身が、兵力を率いて京都に上ることになります。この時、薩摩藩内部あるいは長州藩内部の慎重論を抑えるためにつくられたのが、いわゆる討幕の密勅でした。

 こういう動きは土佐藩にも伝わっていました。そこで土佐藩は、慶喜に対して大政奉還を建白します。要するに、中央政府としての権力を天皇にお返しすることを提案しました。意外なことに慶喜は、あっさりとこれに乗りました。それはなぜかというと、幕府はそもそも、天下泰平を前提につくられた政治機構だからです。要するに幕府は、当時の内憂外患の中では、すでに老朽化しきったものだったのです。それ故に慶喜は、そういう老朽化した幕府を動かすよりも、自ら進んで新政府に加わる方が自分の権限を引き続き維持できるだろうと考えて、大政奉還に応じるわけです。



 この後、王政復古が12月に断行されま...
テキスト全文を読む
(1カ月無料で登録)
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。