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ルネサンスを終わらせたマニエリスム様式…ミケランジェロ

ルネサンス美術の見方(7)ミケランジェロとルネサンスの終焉

池上英洋
東京造形大学教授
情報・テキスト
ミケランジェロ
ミケランジェロの作風は、明らかにアンチ・ルネサンスの様相を呈していた。そこから「マニエリスム」という新しい様式を創り出し、それがルネサンスを終わらせるに至った。その特徴は、螺旋状に構築された彫刻に見て取れる。(全8話中第7話)
時間:12:03
収録日:2019/09/06
追加日:2019/11/27
カテゴリー:
≪全文≫

●ミケランジェロはルネサンスを終わらせる様式を生み出した


 では、ミケランジェロの回にまいります。

 ミケランジェロが生まれた時期は、レオナルド・ダ・ヴィンチとラファエッロの中間に当たります。しかし、二人よりもはるかに長く生きました。88歳まで生きたので、非常に長い人生を送る中で数多くの作品を仕上げます。それだけでなく、彼は新しい様式を生みました。これが「マニエリスム」と呼ばれる様式です。これが結果的に、ルネサンスを終わらせることになったのです。

 歴史上にさまざまな巨人がいますが、美術史でも最大の巨人たちというのは新しい様式を創った人たちです。例えば、このシリーズでもマザッチョがそうでした。さらにこの後のことを考えると、カラヴァッジョやピカソ、ジョットとなどがそれに相当します。非常に数少ない人間しか新しい様式を創ることはできません。その意味でも彼の巨大さがよく分かります。

 マニエリスムの時代は1520年ぐらいから16世紀の終わりまでの80年間ほどを漠然と指しています。かつてはこれを「後期ルネサンス」と呼んでいたのですが、明らかにルネサンスに対する反動、すなわちアンチ・ルネサンスとして生まれてきたものなので、現在では切り離して「マニエリスム」と呼ばれています。


●貴族の息子で、若い頃から才能を発揮した


 ミケランジェロは珍しく、貴族の息子です。もちろん貴族といっても小貴族なのですが、他の画家たちと比べるとスタート地点からして、少し違った人生を送りました。普通、貴族の息子は貴族、つまり地主になるので、そうした道を歩むはずなのですが、彼は芸術の道を志します。多くの反対に遭ったことでしょう。

 彼は、早いうちから才能を発揮します。このあたりもレオナルド・ダ・ヴィンチと違うところです。彼は20代前半で、この作品を仕上げます。これはバチカンのサン・ピエトロに現在も残っている、ピエタの作品です。巨大な大石像なのですが、非常に美しいですよね。表面処理がなされています。彼の実質的なデビュー作だったのですが、発表された当時、非常に大きな評判を呼びました。しかし、誰も彼のことを知りません。集まっていた群衆は、「お、さすがわれわれのGobboだな」と言うわけです。Gobboというのは、クリストフォロソラーリというミラノの彫刻家のことなのですが、彼とは全く関係がありません。つまり、無名な状態でのデビュー作ですから、だれも彼のことを知らないため、他の有名な彫刻家の作品だと思われてしまったのです。

 彼はこのことに怒って、夜こっそり忍び込み、マリアの胸のところの帯に自分の名前を彫りました。彼の多くの作品の中で、サインがあるのはこれだけです。非常に面白いですよね。これ以降、彼はもうサインをする必要がありませんでした。それだけ有名人になったからです。


●この時期、画家とパトロンの関係が変わってきた


 よく知られているように、ミケランジェロはダヴィデを仕上げます。これは25歳頃から製作をスタートする作品なのですが、巨大な作品です。世界で最も知られている彫刻作品でしょう。フィレンツェになぜダヴィデが多いのかというと、フィレンツェにとってのシンボルだからです。というのも、当時フィレンツェは若く新しい国で、周りを強国に囲まれていました。ダヴィデは、巨人のゴリアテに対して知恵と勇気で打ち勝ちましたが、フィレンツェの人々はダヴィデに自分たちの姿を投影したのです。そこでフィレンツェの彫刻家たちは、ドナテッロもヴェロッキオも皆ダヴィデを創りました。このダヴィデは、市庁舎、つまり共和国政府の建物のど真ん前に置かれました。

 彼はその後、ローマ教皇に呼び出され、今度は画家として仕事を与えられました。嫌々やることになるのですが、それでも残した作品があります。例えば、これが彼のシスティーナ礼拝堂の天井画です。皆さんもよくご存じの作品です。

 これを描いた時の面白いエピソードがあります。ある時、「これ、いつできるんだ?」と教皇が尋ねます。そうすると、彼はこう答えます。「私が完成したときが終わるときです」。普通は「何月ごろに終わります」など、具体的なことを答えるでしょう。彼はそうではなく、「私が終わるとき」と非常に偉そうな言い方をしたのです。教皇はこれに怒り、「突き落とされたいのか」と激しい言葉を発しました。これは、彼の弟子が彼の存命中に出した伝記に書いたエピソードです。もちろん彼本人も検閲しているの...
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