●ペンシルベニア大学で日本学の研究者たちと会う
その後は、ペンシルベニア大学へ行くことになりました。日本研究のディッキンソン先生という人を中心に、3、4人の先生が集まって、世界のビジネスマンのための教養を体系的に学習するプログラムを推進されているのだそうです。
いろいろな部局に分かれてやっているのですが、私はあまりあちこちを訪ねるのが嫌だったので、「ディッキンソンさんの所へ、皆を集めてよ」とお願いし、何人もの先生と10人ぐらいの大学院生が集まってくれました。中国、韓国、日本、アメリカと、バラバラの国籍を持つ人たちです。
「どういう研究をしているのですか?」と聞くと、「1920年代から30年までの日中関係」とか「30年代から40年代までの日中関係」と言う。これは、大違いなのです。20年代までの日中関係は日清戦争に勝った後であり、負けたはずの清国のエリートの人たちが実はこぞって日本にあこがれ、日本に来ていた時代なのです。
●1920年代の日中関係を研究するとは
1920年代には、「フランス革命より日本の明治維新の革命から学ぶべきだ」と言われました。フランス革命は50年もかかって血で血を洗い、鈍刀で生き物を叩き殺すような革命でした。ところが、明治維新では実に10年かそこらで武士階級がなくなり、皆が「先生」になって、あらゆる社会構造が変わる。清国のエリートはこれを一番学びたかったそうであり、日本の知識人もよくそれを教えたようです。
そういう中から孫文のような人が育っていったわけです。あるいは魯迅もそうです。魯迅は東北大学に来て、最初は医者になろうと思いましたが、「患者を何人治したところで大勢に影響はない。小説家になれば何万人にも影響を与えられる」と考えて、小説家になったそうです。実際、非常に立派な思想家でした。彼らは皆、日本で教育を受けました。
何と米国で、その時代を研究している韓国人と会えたのです。かと思うと、関東軍がめちゃくちゃに中国大陸を荒らし回った時代を研究している日本人がいる。素晴らしいことだと思いました。
●神道を突き詰め、出羽三山を研究するアメリカ青年
「日本は、やはり神道の国だ」というところから研究を深めたアメリカ青年にも会いました。
神道は山岳宗教です。山岳宗教をずっと追いかけていくうちに、お寺も山の中に作らなければ誰も尊敬してくれないというので、輸入宗教だった仏教は、山の中にお寺を作るようになります。こんなことは韓国にも中国にもないのですが、日本は山岳信仰の国だから、そうなってしまう。
彼は、この研究を突き詰めた末に山形の出羽三山に行き着いてしまった。アメリカ青年が「山伏」の研究をしているというのです。
「それで、山にはどんどん登るの?」と聞いたら、「ぼく、足が弱くてあまり登れない。必死で着いて行っている」と言っていました。私は、素晴らしいと思いました。
今の日本にも、伝統的な宗教はあります。国民の生活にすっかり根付いた「神道」というものがあるのです。それが、立派な教典を持っていて影響力の強い「仏教」と一緒になって、神仏習合でやってきているのです。
●研究者たちに触発された「日本の歴史認識」議論
神道が国家宗教になったのは、明治維新のときです。薩長は、征夷大将軍の徳川幕府を倒すわけですから、厳密には賊軍ですよね。でも「賊軍」という汚名を着た政府には、国民は絶対ついてこない。だから、幕府には想像もできないことをやらなければいけない。そこで、天皇陛下を抱え込んで、神格化した(神にしてしまった)。「神に仕える臣が薩長だ」と位置づけたわけで、それは成功しました。その論理的裏付けのために、神道を国家宗教としたのです。
しかし、そこにつながる神道のエッセンスは何か。これを出羽三山に求めよう、というアメリカ人学生がいる。
この話を聞いた私は、感動しました。面白くなってきたので、「議論をやろう」ということで、私が出したのは、以下のことです。
「中国や韓国は、日本に歴史認識がないと散々に言っている。日本には深い歴史があるけれど、はっきりしているのは、われわれの世代以降、学校で習う歴史は江戸時代で終わってしまうことだ。近現代史は剣呑だから、誰もやらなくなってしまっている。それは誰が原因だったのか。日教組なのか、何なのか」。
わざとこの議論をふっかけた私は、仮説として「これは、アメリカの占領体制だ」と言いました。相手は日本の近現代史の専門家ですから、面白いから言ってやったのです。
●硫黄島と特攻の「崇高な狂気」は何だったのか
「江藤淳の本を読んだことがあるか?」と聞くと、もちろんディッキンソンは熟読していました。「どう思う? 『閉ざされた言語空...