●なぜ名僧・名著の原文を読むことが重要なのか
―― 皆さま、こんにちは。本日は頼住光子先生にお越しいただきまして、「【入門】日本仏教の名僧・名著」ということでお話をいただこうと思っています。頼住先生、どうぞよろしくお願いいたします。
頼住 よろしくお願いいたします。
―― 今回の企画といたしましては、日本仏教の名僧と呼ばれる人物を取り上げ、それぞれの方が書いた著作によって彼らを追っていこうという趣旨を考えました。
頼住先生の書かれた『日本の仏教思想―原文で読む仏教入門』(北樹出版社)というご本のなかには、まさにその趣旨でいろいろな方々の原文が載せられ、ご紹介されています。先生、このように原文を読んでいく意味は、どういうところにあると思われますか?
頼住 原文を読むというのは、その思想家が自分の考えを「こう表現しようか、ああ表現しようか」と、いろいろ考えた末に確定した、その表現を自分も味わって、その世界をともにすることだと思います。
いろいろな「仏教入門」が出ています。概説書は概説書で、全体を見るという意味で、とてもいいと思うのですが、彼らの思想の「息吹」に直接に触れることが、その思想家を考えるうえで、とても重要なのではないかと思いました。そこで、原文のうちでも特に紹介したいというものをいくつか選んで、入門書として書かせていただいたということになります。
―― 「息吹」を感じるというのは、やはりとても大事なところですね。
頼住 そうだと思います。「文は人なり」ということがありますので、ただ「こういう思想ですよ」と言って概略を紹介されるよりも、実際に読んだほうが理解が深まる、と考えています。
―― 私どもは「テンミニッツTV」ですので、もちろん原文を全部ご紹介することは難しいわけですけれども、一文なり短い文をご紹介させていただいて、ご視聴の皆さまにはその息吹に触れていただければ、と思っています。
●日本の仏教を方向づけた聖徳太子からの流れ
―― 頼住先生はまた、ご近著として『さとりと日本人』(ぷねうま舎)という本もお書きになっています。こちらでは、聖徳太子の和の思想や道元の考え方などについて、お書きになっていらっしゃいます。
さて、講義の本題のほうに入りたいと思います。今回、取り上げる人物として、全体はこういう形で考えています。
聖徳太子、最澄、空海、源信、法然、明恵、親鸞、道元、日蓮。こうした方がたの、まさに息吹を感じていただく講義にしていきたいと思っているわけです。
先生、まず最初にこの方々について、ひと言ずつでは難しいと思いますが、ご紹介いただくとすると、どういうふうになりますでしょうか。
頼住 そうですね、まず聖徳太子ですけれども、日本に仏教を定着させる方向性を決めた人だと考えることができるのではないかと思います。
仏教が日本に入ってきたのは、だいたい6世紀の中ぐらいと言われています。その伝来当初に聖徳太子が、「日本の仏教は、こういう方向で行く」という方向づけをしました。では、その方向づけというのは具体的に何なのかということについては、後ほど詳しくお話ししたいと思いますが、ともあれ方向づけをしたと考えればいいかと思います。
●最澄と空海が「山」に寺を置いた意味
頼住 その後、最澄、空海、そして源信の三人を、平安時代の仏教者としてまとめることができるかと思います。最澄と空海は、それぞれ中国の唐に留学いたしまして、最澄の場合には天台宗、空海の場合は真言宗を日本にもたらしました。それらを二人が日本に定着させたため、二つの宗派は現在でも大変盛んに日本で活動しているといえるでしょう。
この最澄・空海をよく考えてみますと、彼ら二人の大きな特徴は、山にお寺をつくったということではないかと思います。
―― 比叡山と高野山ですね。
頼住 そうです。彼ら以前、例えば奈良仏教を見てみると、東大寺や興福寺などは、いずれも都の中にあります。都の中にあって、しかも「鎮護国家仏教」になっていたということがあって、奈良仏教はかなり政治と密着した関係にあり、いろいろな弊害も出てきてしまったということがありました。
―― 鎮護仏教というのは、まさに国を守るという意味ですね。
頼住 そうですね。国を守るという意味では、最澄や空海も鎮護国家を重視しました。しかし、彼らはそれだけではなく、山奥にこもって、自分たちが修行を深めていく。そこに教団をつくり、大規模な教団を経営して、弟子たちを育てていくシステムをつくっていったわけです。
もう一つ重要なのが、山岳ということです。日本では昔から、すなわち仏教が入ってくる前から「山」が聖なる土地として崇められたと考えられてい...
(頼住光子著、北樹出版)