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外国人も商人も積極的に登用した徳川家康の人材活用術

徳川将軍と江戸幕府の軌跡~家康編(4)人材登用のうまさ

概要・テキスト
林羅山
太原雪斎や安国寺恵瓊といった禅僧が当時、最大の知識人として外交政策を仕切っていた戦国時代。徳川家康は、そういった政治的ブレーンとして天海や崇伝などの僧侶、儒学者の林羅山を登用する一方、ウィリアム・アダムスやヤン・ヨーステンなどの外国人、商人の茶屋四郎次郎も積極的に活用する。そのことから、家康の「人材登用のうまさ」をうかがい知ることができる。(全5話中4話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
時間:09:35
収録日:2019/12/26
追加日:2021/01/30
タグ:
≪全文≫

●当時最大の知識人として外交政策を仕切っていた禅僧


山内 実際にそうなっていくわけだけれども、彼(徳川家康)を、駿河今川家の最も重要な武将として育てなきゃいけない。今川家を支える武将、リーダーとして育てたいという思いがあったから。

 家康は、織田信長とは形式的にいえば対等の同盟関係じゃないけど、三河の独立大名として三河一国というものを領有していた松平家の嫡子です。これを格下だと見ていたと思うけども、政治的にいえば今川の重要な同盟者、あるいは有力武将、あるいは客将としてきちんと育てていく。そして、今川の持っている文化的あるいは知的な教養を身につけ、一国を束ねて今川を支えていく。そのような武将に育てていきたいという問題意識が(太原雪斎には)あったでしょうね。

―― そこもまた幸運な出会いですね。

山内 幸運な出会いでした。そして、ある意味では、(太原雪斎のような)禅僧というのは、戦国時代から江戸時代にかけては、最大の知識人であり、最大の政治ブレーンだったわけです。

 例えば(時代的に)早いところでいうと、安国寺恵瓊と秀吉の関係、あるいは毛利輝元と安国寺恵瓊の関係です。つまり、安国寺恵瓊は両属関係だったわけです。独立化していくにしたがって秀吉についていくけれども、基本的には毛利家の使僧として出発したわけです。同時に学僧だった。そして領地・領国も与えられ、石高を持つ。実際、毛利家の外交政策を仕切っていくのは、安国寺恵瓊だった。太原雪斎も同じです。そういう役割を果たしていく。

―― でも、そういう人だから、見る目がものすごくあるわけですね。

山内 そうでしょう。実際、雪斎は信長の父の信秀と戦いますから。前線に行って戦闘の指揮までするのです。


●政治的ブレーンとして活躍した安国寺恵瓊


山内 これは恵瓊もそうなのです。関ヶ原の戦いは竜頭蛇尾に終わったのですが、恵瓊は基本的にいえば、輝元の意志を受け継いでいる。これは何て言うのでしょうかね、よく日和見というか、西軍の総大将になったからというイメージが強いのだけども、家康に対して対抗するということは。

 そういう外交が成り立つか成り立たないかということは別として、輝元の目論見と安国寺恵瓊による輝元の意志を受けた外交政策というのは、基本的に家康とは戦わないでおくというものです。そしておそらくですが、石田三成を...
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