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今も残る「駿河本」は徳川家康が文化の維持に貢献した証

徳川将軍と江戸幕府の軌跡~家康編(3)写本と文化の維持

情報・テキスト
蓬左文庫(名古屋市蓬左文庫)
徳川家康は非常に実務的な政治家だという印象が強いが、実は文化という面でもその維持に貢献した人物であった。それは家康が重要な書物を写本させたところにも表れている。それが今でも「蓬左文庫」「南葵(なんき)文庫」などとして残っている。(全5話中3話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
時間:06:10
収録日:2019/12/26
追加日:2021/01/23
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≪全文≫

●火事に備え、貴重な書物を写本させていた


山内 例えば、目立たないことだけれども、徳川家康が江戸幕府を開いて最初にやったのは、「武家諸法度」という、武家を統制していく法律です。もう一つ並んで、「禁中並公家諸法度」という、朝廷、天皇、あるいは公家に対してコントロールしていく、そういう法もつくっていきます。

 そのときに、いろいろな前例、等々を知らなければいけない。そこで、『貞観政要』、『群書治要』といったようなものを始めとする中国の文献だけではなくて、日本の『禁秘抄』という順徳天皇等々が関係したような文献。さらにずっと遡っていくと、『日本書紀』や、『続日本紀』等々の『六国史』を始めとして歴史書などにも、彼はたくさん関心を持って、読むわけです。

―― それは自分で読むのですね。

山内 読みます。そして読むだけではなくて、今、われわれは刊本といって、こういう本で読むことができるけども、当時は基本的に写本の世界だから、写していくわけです。ですから、貴重な本や、古代や中世の本も、写本で伝わるわけです。そうすると、一番怖いのは火事なのです。ですから、いろいろと写していくわけです、写本といいますが、写すときに写し間違えが起きたりもするから、最終的には校訂などそういうことをしないといけない。けれども、ともかくそれを写させたりするのです。

 公家のもとや、朝廷にあるような、そういう本なども出させるのです。それをきちっと組織立って、写していくという作業をするのです。それをもとにして、禁中並公家諸法度をつくる。根拠なしに作るのではないのですよ。こういうふうに、ここにはこう書かれている。ここには斯くの如しと。ですから、天皇というのは学芸を専らにするべきことだというようなことは、いろいろなところに根拠を持って言うわけです。

 しかもあれは、政治をしなくていいですよという意味で、天皇は学芸や学問を専らにするべきというのではないのです、よく誤解されるけど。天皇がきちっとした天皇としての役割を果たしていくためには、天皇独自のそういう政治責任や、統治責任をきちっと自覚していただかないと困りますと。その自覚のために勉強してくださいという意味なのです。

 そのためにいろいろな、天皇家、朝廷、公家の各家に伝わっているようなものを出させて、それを写す。それで編纂していくというような作業をしていくのです。


●「駿河本」として後世に残し、文化の維持に貢献


山内 京都は火事の多い町だから、本も火事で焼けたりするわけです。そうしたときに、家康のもとで写した本(写本)がそのまま残って伝わっているというものも多いのです。

 これはのちに家康が引退したときに「駿河本」といわれます。彼は駿府(駿河)に引退しますから、駿河でコレクションとして持っていたものが、彼が死んだ後、本家、宗家、幕府の紅葉山文庫はもとより、尾張、紀州、水戸などに形見分けとして分け与えられたのです。

 例えば尾張藩の例でいうと、尾張藩にある、今の徳川美術館と同じ構内にある「蓬左文庫」という、立派な歴史研究図書館、文書館があります。この蓬左文庫の中には、「駿河本」という家康が集めた本が形見分けになったものがたくさん入っています。

 紀州藩の場合は「南葵(なんき)文庫」といって、そこに納められています。そのうちのかなりのものは今、東京大学の総合図書館の中にも入っています。

―― なるほど。

山内 そういうふうに、本というものの散逸や消失を防ぐという結果もあったわけです、写本作業や本のコレクションには。そういう点で、彼は文化の維持というものに貢献しました。

 家康と文化を結びつけない人は多いと思います。文化や建築、美術などということであれば、どちらかというとイメージとしては、贅沢に寺をつくったり、聚楽第をつくったり、大坂城を派手につくったりした豊臣秀吉のほうが、あるいは安土城をつくった織田信長のほうが強く結びつけられます。

―― 目に見えるほうが、つくったり残ったりしたほうが、ということですね。

山内 そう、そういったもののほうがイメージしやすい。江戸城というのは、そういう意味では個性がないといえばあまり個性がない城ですから。

―― 実用的ですね。

山内 実は江戸城は非常に立派で、築城史上、最高傑作なのだけれども、そういう人間のイメージと、実際の歴史から培われている想像力、イマジネーション、それから実際にわれわれが考える価値観といったようなものが一緒になって、人を見る目ができてくる。その点で家康には、信長あるいは秀吉が持っているような派手さがない。つまり家康の場合には、文化というものがあたかもないように感じられて、非常に実務的な政治家だという印象が強い。けれども、決してそんなこと...
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