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70歳を過ぎた渋沢栄一が中心的担い手となった「国民外交」

曾孫が語る渋沢栄一の真実(6)日本とアメリカにかける橋

渋沢雅英
渋沢栄一曾孫/公益財団法人渋沢栄一記念財団相談役
情報・テキスト
『太平洋にかける橋』(渋沢雅英著、不二出版株式会社)
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渋沢栄一の事績として日米親善事業は欠かせない。栄一はあくまで民間の立場を守りつつ、「世界の中の日本」の位置を正確に弁える人だった。アメリカ人実業家とは特に深く親交を結び、青淵文庫に招くことも多かったが、時代の波は日米間に亀裂を生み、やがて排日移民法が成立していく。(全7話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:14:33
収録日:2020/10/14
追加日:2021/03/08
≪全文≫

●世界の中の小さな日本を理解していた渋沢栄一


―― 渋沢栄一さんの場合は、雅英先生が書かれた『太平洋にかける橋』のご本のちょうどタイトル通りで、いかに日米関係をよくしていくかということに、国民の立場で努力をされました。政府の外交ではなく、国民の外交ということで努力をしていった過程を、ここでは本当に詳細に描いていらっしゃいます。

 私も拝読しましたが、例えばなぜアメリカで「排日運動(日本人を排斥していく動き)」が起きたのか。半ばは「日本はすごい」と言う人たちもいれば、「日本はちょっと危ない」とか「武力に訴えてくるのではないか」ということで脅威論を煽る人も出てくる。そういうアメリカの国内事情を非常に克明にお書きになっていますし、それに対して栄一さんがどういう努力をしたのかというのも非常に克明にお書きになっています。

 栄一さんがお亡くなりになったのが昭和6(1931)年、ちょうど満州事変の年ですね。

渋沢 その年ですね。

―― 結果からすると、お亡くなりになって10年で日米戦争が始まってしまうのですが、その過程で「日本とアメリカにかける橋」としてどのような努力をされたのか、そのあたりをぜひお聞きしたいと思います。

渋沢 栄一という人は、「世界の中の日本」の立場というものを割と客観的に感じていたと思います。日本人はやはり小さい国に育っていますので、なかなかそういう感じではない。「日本はえらいんだ」と言ってみたり、「いや、駄目なんだ」とがっかりしてみたりと、落差があります。

 その点、栄一は、「アメリカと中国の間に立っている小さい国」という自覚があった。今でもそうだけれども、当時は特にそうだった。そういう日本の立場に対する客観的な理解が、栄一は非常に深かったのではないかと思います。


●アメリカの財界人に胸襟を開かせた「国民外交」


渋沢 アメリカは、最初は日本をとてもかわいがってくれるのだけれど、あるときからだんだん日本が威張りだしたこともあって、ギクシャクしていきます。そのようなときでしたが、栄一はアメリカ人の間に非常に人気があるのですね。「論語と算盤」のせいかどうか知らないけど、栄一の雰囲気の中には、非常にアメリカ人が大事にしたがるような道徳的といいますか、精神性のようなものがあると思われたのではないでしょうか。

 もちろん栄一は、政府の外交に口を出したりしない。これはもう全ての点について、民間の人間だと思い込んでやっていますから、外務省に楯を突いたりすることはなかったです。そして、アメリカの本当に優秀な人たちと仲良くしようとした。だから、この家(青淵文庫)などもそういうことに使いたいわけで、この庭もずいぶん使われたと思います。ここに来た人には、「1000人の外国人がいた」という話です。


―― 1000人も、ですか。

渋沢 ということが栄一に関する資料には書いてあります。それも財界の人が多いですね。もちろん国務長官のようにいろいろな役職の人も来るけれども、栄一という人は、財界人たちと仲良くなるのです。だから向こうも、「栄一がやるなら一緒にやろう」みたいな心意気ができるところがあったのですね。

 栄一は英語をよくしゃべらなかったと思うし、フランス語もしゃべったかどうかよく分からないけれども、それがアメリカの一流の財界人と非常に深いつながりをつくるのですね。

 でも、向こうもアメリカの外交政策に干渉するわけでなし、こっちもするわけでもない。その後、(国同士は)だんだん、だんだんうまくいかなくなってしまう。


●排日移民法と「悔し涙演説」


渋沢 「排日移民法」というものができたのが一つのターニングポイントになって、日米関係はあのときに終わったと言ってもいいのかもしれないと思います。

 栄一は非常に悲しむわけですが、悲しんでも、他の人が怒ったり、わめいたりするよりもう少し冷静に客観的に、「こうなったら、できることをする他ない」と思う。諦めが早いのですね。そういうところは、なかなかビューティフルだと私は思うのだけれど。

―― ちょうど今日お持ちしたのですが、『青淵先生演説撰集』というかなり前の本(1937年刊行)で、渋沢栄一の演説を集めた中に、排日移民法ができた時の演説も載っていました。

 これなどを読みますと、日米関係の経緯が諄々と説かれ、小村寿太郎外務大臣が何をしたかにをした、といろいろな方の名前を挙げて、こんなことがあったと紹介した後で、「しかし、結果として排日移民法ができてしまった。自分としてはいろいろ骨を折ってきた甲斐もなくて、あまりに馬鹿らしく思われて、社会がいやになるぐらいになって、神も仏もないのかというような愚痴さえ出したくなる」と言われています。

 さらに「70年前、まさに若かった頃にアメリカ排斥をし...
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