●投資家としてのキャリアを本格的に開始する
―― こうした形でいよいよ独り立ちをして投資をしていくことになると思うのですが、どう動くのでしょうか。
桑原 ここに書いてありますが、結局、1965年にバフェット社は解散して、その後、バークシャー・ハサウェイという会社の経営に専念します。この会社は、もともとはアメリカ中部によくあった繊維会社です。当時としては完全に落ち目の繊維会社だったのですが、なぜかウォーレン・バフェットはその会社に惚れ込んでしまい、その会社を一応取得します。しかし、その会社がどんなに頑張っても立て直せないため、どんどん投資会社に変更していくのですが、いずれにしてもパートナーシップは止めて、バークシャー・ハサウェイという会社を通じて投資を行って、そのバークシャー・ハサウェイの時価総額である株価を上げていくことに専念するようになっていきます。
―― このときにはもうパートナーシップとして、いろいろな人からお金を集めるのは止めているのですね。
桑原 そうですね。やはりパートナーシップは結局人のお金を使ってやるので、どうしてもその人たちのために無理にでも利益を上げて、お金を儲けなければいけません。バフェットは人の期待を裏切るのが大嫌いだといわれているので、そうすると自分の投資原則に反することもやってしまうかもしれません。そういうことを自分はしたくないこともあって、その人たちにはお金を預けるのではなく、バークシャー・ハサウェイの株を持ってくださいという感じになっていきます。そこへの株式投資で時価総額が上がれば資産も増えるので、そちらにシフトしていきます。
バークシャー・ハサウェイの経営に専念するようになってからのバフェットの最初の転機の1つ目は有名な新聞会社であるワシントン・ポストに投資したことです。やはり新聞社の大株主であるということは1つのステータスにもなっていきますし、ワシントン・ポストの投資は非常に有利だったこともあって、バフェットが投資家として成長していく上での大きなターニングポイントになっています。
―― これは確かウォーターゲート事件のときのことになります。
桑原 翌々年ぐらいです。ちょうどウォーターゲート事件でワシントン・ポストの株も下がっていきます。もちろん新聞社そのものの株価もどんどん下がっていく非常に厳しい時期です。しかし、後ほどご説明しますが、バフェット自身は、持っている価値に比べて非常に価格が安いこと、そしてもう一つは新聞が大好きで、やはり新聞社を持って、新聞社を経営するのが好きなこともあり、ワシントン・ポストに投資をして、その後のワシントン・ポストを、いわゆる守る立場にもなっています。
その後の2つ目が保険会社のガイコです。これはバフェットが大学の頃に1回投資をした会社で、そこからしばらく離れていましたが、1976年に保険会社のガイコへの投資を始めています。これは現在、バークシャー・ハサウェイ傘下の非常に重要な会社になっています。これもバフェットにとっては、その後のターニングポイントの2つ目になるかと思います。
その後、1979年に長者番付に初めて登場しています。このときの資産は6億2000万ドルです。これが後のちどれほどの金額になるかは先ほど申し上げた通りで、驚くべき成長を遂げます。
バフェットが初めて『フォーブス400』のベスト10に入ったのは1986年で、このときの資産が14億ドルです。これ以降、バフェットは常にベスト10に入り続けていて、1位にもなっています。まさにお金持ちの地位は完全に確立したことになります。
―― そういう意味では、トップになってからが長いですね。
桑原 ビル・ゲイツも非常に長期にわたってお金持ちで居続けていますが、これほどの長期にわたってトップに入っているのは、本当に非常に珍しい例だと思います。
その後はコカ・コーラがバークシャー・ハサウェイにとっても大事な投資先になります。バフェットは1日に5本のコーラを飲むといわれているほどのコーラ好きです。コカ・コーラこそ世界ナンバーワンの投資先であるというほどコカ・コーラ株に惚れ込んでいます。
それから、1991年にはソロモンブラザーズの暫定会長となって、このときに報酬1ドルでその再建に尽力しました。そして、アメリカの議会での立派な振る舞いなどがバフェットをその後「賢人」と呼ばれる存在にしていきました。これは投資家というよりも、バフェットにとっての非常に大事なポイントだったと思います。
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―― そして1993年には1位になるのですね。
桑原 そうです。ここで1位になったのですが、20...