●制裁への対抗措置として、日本との平和条約交渉を中断
皆さん、こんにちは。
前回までウクライナ戦争について語ってきましたが、(この問題についての三つ目の観点として、)日本の立ち位置について少し触れる必要があると思います。
今回のウクライナ戦争は、ウクライナとロシア、あるいはNATOとロシアという対立軸の下で展開されています。国際的な枠組みという点においてみてみると、ロシアに対する経済制裁、あるいは金融制裁が科せられているという現実があります。この点で、G7の一員である日本もまた、ロシアに対する制裁に加わり、かつての日本よりも、はっきりと決意を込めてこの制裁を実行していることを、岸田政権からは感じます。
ここでロシア側からの視点を見てみましょう。シベリアの軍管区に極東軍管区があります。この極東軍管区からシリアに兵員が派遣されたり、あるいはウラジオストックから艦隊が派遣されています。ヴァリャーグという旗艦が地中海から指揮したように、目下のウクライナにおける非常に不利な戦況を増援するために、極東軍管区などからも、ウラジオストック経由で兵員や部隊、武器の配置転換が行われていると伝えられています。
この場合、彼らは宗谷海峡あるいは津軽海峡を通ります。そのため、津軽海峡や宗谷海峡を監視している日本側の非常に優れたレーダー探知網に子細を把握されていると考えるべきでしょう。その積載物などの情報は当然アメリカなども共有し、アメリカを介して、ウクライナ政府やウクライナ国防軍に伝えられていることは、全く明らかです。こうしたことを一つとっても、ロシアからすれば、日本はウクライナに対して加担しており、制裁行為だけではなく、軍事的な行為にも手を貸していると考えるのが国際的常識です。
こうした観点から、ロシアは日本との平和条約交渉を中止すると通告してきました。これはロシアからすれば当然のことです。もちろん日本からすれば、不法占拠した北方四島に関する継続協議の問題解決によって、日露の平和条約締結を目指すという日本国民、日本政府の基本的な立場を無視したロシアの姿勢に対して抗議はします。しかし、日露関係は政治、経済ともに、制裁から自由ではないので、しばらく私たちはこの北方四島を軸とした日露関係の正常化あるいは発展については、やや悲観的にならざるを得ません。平和条約交渉の打ち切りを一方的に通告してきた現状を考えると、日本としては、当分の間、忍耐(辛抱)の時間が続くことになります。
●プーチンの政治思想の背景にあるKGBの手法
さて、今回のプーチンのいわば蛮行は、単なる偶然でもなければ、思いつきでもありません。国際世論の反発を無視して、自分たちは武力行使をする根拠があるという、非常に一方的かつ全く独善的な論理によって進められています。どれほど民間人に犠牲者が出ようとも、自分の望む結果や行為を絶対実現するという、プーチンの強い意思の下で行われている戦争です。この手法は、いってみれば、1920~1940年代の時期を支配したソ連のスターリン政治体制、そのスターリン政治体制を支えていた秘密警察システムであるGPU(国家政治保安本部)、そしてこのGPUの後進であるKGB(国家保安委員会)に至る伝統にあります。
今回の戦争は、KGBの出身者としてのプーチンの思考法と、独特な思考に基づく政治手法を、私たちに全く誤解の余地がないほど明快に突きつけています。権力を維持するためならば、民族、あるいはその民族が住んでいる地域を丸ごと抹消する、あるいは丸ごとシベリアや中央アジアに移す。実際にこうしたことをしたのが、スターリンの時代でした。クリミア・タタール人や、ある時期のチェチェン人やカラチャイ人、バルカル人といった多くの人びとが、コーカサスやクリミア半島からシベリアのほうに送られました。
スターリンにはある逸話があります。それは、本当はウクライナ人も全て持っていきたかったが、それができなかったのは人口があまりにも大きかったからだというものです。可能であれば、バルト三国のウクライナ人もみんな移したかっただろうという話が伝えられるくらい、民族移動や民族の抹殺が行われました。私たちの記憶に新しいところでいうと、1994~1996年の第一次チェチェン戦争、さらに、1999~2009年に至るおよそ10年間も続いた第二次チェチェン戦争があります。
第一次と二次のチェチェン戦争は、国民殲滅型、そして都市破壊型の戦争でした。この国民殲滅型、無差別の都市破壊型の戦争は、今まさにウクライナにおいて大規模に再現されていて、長期化とさらなる残酷化が懸念されています。
さらにもう少し歴史をさらってみると、2008年にプーチンはグルジア(現ジョージア)に対して戦争をしています。さらに、2014年のクリミア併合に基...