●二人のリーダーに対する歴史審判の行方
皆さん、こんにちは。
前回、ロシアにおける祖国解放戦争である大祖国戦争の問題について触れました。そして、今ウクライナが戦っている現実こそが祖国防衛戦争であり、これは彼らが好き好んで始めた戦争ではなくて、強いられたものであるという歴史の現実について説明しました。
そういう困難な状況の中において、ロシア国内では、反戦や戦争への抗議の声を大胆に語る、勇気ある市民たちが出始めています。テレビの画面において、真実を直視することを呼び掛けた(当時)国営放送局のマリーナ・オフシャニコワ制作者はその一人です。彼女の勇気ある使命感は、日本を含め、世界中に静かな感動と尊敬意識を国民の間に呼び起こしました。
ゼレンスキー大統領とウクライナ国防軍、そして国民は、遠い未来や理想にいたずらにふけるのではなく、すぐそこにある目の前の脅威や危険を除くために、結束して戦わざるを得ない状況になっています。
ゼレンスキー大統領は、政治と軍事を動かすものが何であるかを現実的に理解しています。そして、それをテレビやメディア、スマートフォンなどを通して訴えかけています。彼はこういう点において、自分の主観的な思い込みと情念にこだわっているとしか思えないプーチンと比較されて、歴史についての将来の審判や評価を受けることになるでしょう。いずれこの大変不幸で不条理な戦争が終わったあと、この二人のリーダーは、そのリーダーシップについて、貸借勘定あるいはバランスシートを付けられることになります。それはロシアの歴史家にとっては大変苦しいものになるでしょう。そしてそれは彼らに課された試金石になるはずです。
●ウクライナ問題が提起する国際秩序の転換と核恫喝の脅威
しかしまずは、現在のウクライナ、あるいは世界、そして日本について考えなければいけません。ウクライナ戦争の現時点における教訓は、すでに世界に大きな問題を投げかけています。これは3つの点から改めて考えることができます。
第一は、国際秩序の在り方が転換するという事態です。かつての冷戦の終結とソ連の崩壊、そしてそれよりも前の第二次世界大戦の勃発と終結、さらにさかのぼって第一次世界大戦の勃発と終結は、いずれも大きな世界秩序の変動をもたらしました。今回はそれに匹敵する、あるいは準じる秩序の変更がもたらされると考えています。
第二は、大変遺憾なことであり、恐ろしいことですが、ヨーロッパの地域において、プーチンが核兵器の使用を示唆したことです。これは、ロシアのプーチンがいわゆる戦術核の利用を示唆したという現実から生じています。
今回、戦術核の使用を匂わせたために、アメリカのバイデン大統領をはじめとする、NATO(北大西洋条約機構)の首脳は、第三次世界大戦が起きるかもしれないという、あるいは第三次世界大戦に発展するという理由から、ウクライナへの軍事的支援を一定の枠内に封じ込めています。
これまで世界のリーダーが果たしたことのない核による具体的な恫喝を、国連安全保障理事会の常任理事国の一員であり、米ソ関係以来、世界の国際安全保障を担ってきたロシアの最高指導者が、実際に今行われている戦争の中でしています。そして、その核恫喝が現在ある程度の効果を発揮してしまっているのが現在の状態です。
言い換えれば、核の保有国が、非保有国、つまり格下の国力しか持たない、あるいは格下の防衛力しか持たない国に対して、政治的な目的や個人的な野心を達成するために、核をもって、政治的、軍事的に恫喝しました。その結果、現代の世界は、大戦に発展するからという理由で、その自由行動を許してしまっています。つまり、ロシアの行為について、それを止めるすべがないというのが、現在のウクライナ問題を通して日本が、そして世界中が直面している現実です。この点こそが、今回のウクライナ問題の本質に関わる大変重要な問題だと思います。
●安全保障論が問題にしてこなかった「エスカレーションのジレンマ」
プーチンの核恫喝に対抗してエスカレーションすれば大戦になるかもしれないというのは、これが究極の脅迫、恐喝の極致であることを意味しています。これは安全保障論が、十分に問題にしてこなかったジレンマにほかなりません。私はこれを「エスカレーションのジレンマ」と呼びたいと思います。 つまり、片方が一方的に核恫喝で人や国を脅かした場合、それに対して同じような核恫喝をもって反発するとどうなるかというと、プーチンはそれに対して、さらに核の使用をもっと高いレベルに上げていきます。
エスカレーションのジレンマは、EUやアメリカといった民主主義と自由を旨とした西側諸国や、核被爆国であり、非核三原則を掲げた日本の立場が、結局はこの核恫喝に...