●リモートは不完全だがいいところもたくさんある
今、われわれの社会が直面しているのは「バーチャルの中に逃げ込む」ことで、それをキーワードにすると「リモート化」になると思います。それが、われわれの生活の中で最も目に見えてきているところだと思います。
リモートでさまざまな仕事をされている皆さまはやはり「これは完璧ではない」と感じておられるようで、それは正しい肌感覚だと思います。リモートに関してはバーチャルの質を上げていくことで、より現実世界に接近できることもあるでしょう。また、今現在あるツールとして、不完全ではあるけれども、いいところもたくさんあるということは、理解しておかなければいけないと思います。
非常に大きな要素として、移動時間が非常に短くなったことが数えられますし、そこは評価すべきところではないかと思います。実は久々にお台場までリアルな講演をしに行きます。コロナの前までは何の疑いもなく行っていましたが、講演時間40分ほどに対して往復が3時間ぐらいかかります。時間効率でいうと30パーセントほどになっているわけです。これがリモートであれば、本当にその瞬間だけ行けばいいわけです。今回の講義もリアルで収録していますが、このために何人の方が交通機関を使ったかを考えてみると、その部分がオーバーヘッド(間接費用)になってしまっています。
仮にリモートという技術が不完全であって、本来のリアルの50パーセントぐらいしか効果が発揮できなかったとしても、それ以前に時間効率で30パーセントぐらいのところとの勝負になってくるので、それでも御の字になります。実はわれわれがそういう世界を見てしまったということですから、ちょっと頭を切り替えてみるのはすごく大きなことかもしれません。
●コロナが書き換えた都市の常識
われわれは20世紀を超えて、今21世紀の世界に住んでいます。20世紀の特徴は何かというと、大都市が生まれ、その大都市に通勤する会社員が増えたということなのだそうです。私も20世紀に大学生時代を経験しましたが、何の疑いもなくそういうことをやっていました。
しかし、考えてみると、「通勤は本当に必要なのか」「都市にはもう少し別のスタイルがあるのではないか」といったようなことを考え始めるきっかけを得たのが現状のわれわれです。 建築や都市計画の方たちも、だんだんそういうことに気づき始めているのが事実のようで、建築家の隈研吾氏が「地球のOS書き換えプロジェクト」を始めるに当たり、何か協力してほしいと言われたので、私も一座に連なっています。そういうことも起こりつつあるのです。
いわゆる近代社会は、この図の中の真ん中あたりです。個人がたくさん集まっていて、大規模な会社や都市のようなところへの「通勤」という形でグルッと回っていきます。そのために、1つのオフィスに人を詰め込むことによって効率性を上げることが、20世紀の考え方になっていました。
ところが、コロナを経験したことにより、「集めてしまうとまずい」という話が出てきましたし、「在宅でもいいのではないか」という話が必ず出てきます。そうすると、地方分散や地域分散のようなスタイルで活動していくことも考えられるようになります。そこに、「拡張認知による自律協調型社会」というやや難しい言葉で示される可能性が出てきます。
これはお分かりだと思いますが、社会を小さいユニットに分割していってバラバラになるのではなく、それが自律的・協調的に動いていくということです。もしかするとそのような新しいスタイルの社会が生まれてくるかもしれないし、そのような新しい社会づくりを考えていってもいいのかもしれません。
もちろん、そのためにはいろいろと考えなければいけないことがあります。在宅というと、言葉自体はいいと思いますが、悪い言い方をすると「ひきこもり」ということにもなりかねません。人はやはりある程度外に出ないと駄目ではないかという考え方もあります。
●メタバースはコロナ後の「ノアの方舟」になるのか
隈氏より一世代前の建築家に黒川紀章氏がいましたが、彼は「ホモ・モーベンス」という言葉を使い、「人間にとって動き回ることが非常に重要だ」と言っています。人は動くことによっていろいろな情報を取り、運んでくる。それが刺激となって、人が人たり得ているという考え方で、それもうなずけます。
ただ、そうすると、実際に動かなくても、情報技術により、それこそインターネットをブラウジングすることによっていろいろな知識が入ってくるので(家の中にいて、情報機器なしにじっと静かにいるのは「引きこもり」ということになるでしょうが)、ネットを...