●理論に裏打ちされた日本の戦後復興政策
岸田文雄さんは(2022年10月現在)宏池会の会長ですが、宏池会をつくったのは池田勇人という総理大臣でした。岸田首相の大先輩に、池田さんや大平正芳さんなど、立派な人がたくさんいらっしゃるのです。
池田さんや大平さんに共通することは、時代の最大課題が何かということをよく承知されて、それにチャレンジされていることです。
池田さんは、第二次大戦後の惨憺たる破壊と貧困の中から、いかに日本を復興させて成長を達成するかということを最大命題として、全力を尽くされたと思います。
大平さんの頃は、日本が輸出立国として世界で羽ばたいて、対米黒字を積み重ね、それによってアメリカをはじめ世界中から批判を受けました。このようなやり方で土砂降り輸出のようなことをするのは良くないということで、もうちょっとバランスの取れた成長モデルを追求するのだと「田園都市構想」が出てきているのです。
もう少し池田さんと大平さんの考え方を説明したいと思います。日本は、太平洋戦争敗戦後の焼け野原の中から立ち上がって、さらに朝鮮戦争の特需の追い風があり、戦後復興の手がかりをつかみました。池田さんはこの状況を踏まえて「所得倍増計画」を打ち出しているのです。これは単なる思いつきではなく、二つの面できっちりした理論があると思います。一つは、産業連関を踏まえた産業政策です。もう一つは金融の大戦略です。
産業連関では、まず石炭、鉄鋼、造船、機械。これは産業構造の高度化の順序です。そして段々と、造船、機械、自動車という流れになっていき、輸出立国を目指す戦略が描かれてくるわけです。さらに、日本は資金が足りなかったのですが、どうやって国民の持っている資金を輸出産業に集中するかという戦略をつくりました。
当時、日本は農業人口が半分以上もいたので、農協が農業者たちのお金をたくさん持っていたわけですが、農協は(他に)使い道を知らないので預かっているだけです。このお金を協同組合に入れて、信用金庫に移し、さらに信用金庫から地方銀行に移して、地方銀行も運用は下手ですから都市銀行へ移し、最後は政策銀行です。これらの政策を趣旨として、日本興業銀行などがつくられているわけですが、そこまでいけば、多額な資金を輸出戦略産業に集中できるのです。
日本人の持っている資金を底辺から吸い上げて、輸出産業に投入する。それから産業構造は、日本は九州で石炭がたくさん取れましたので、鉄鉱石は海外から輸入して、一番新しい施設で生産性の高い鉄鋼産業をつくる。そこで良い鉄ができますので、造船、機械、自動車の製造に向かうわけです。そのような二つの戦略があったわけです。
当時、世界は大貿易時代でした。1960年代は貿易がものすごく発展したのです。アメリカが支えて、世界中の国が頑張った。その中で、下村治という非常にユニークな官庁エコノミストが示した投資係数と輸出係数という指標を裏打ちにして、日本は輸出立国として最大の成功を見事に示したのです。
下村さんの議論は非常に簡単です。投資をすると、国の所得が増える。輸出係数という指標があり、所得が増えると、輸出がどれだけ増やせるかが分かる。その二つの分数を組み合わせるだけなので、封筒の裏でも書ける理論だといわれているのです。もともとは、ロイ・ハロッドという有名な学者の議論を単純化したものですが、それを下村さんは、池田さんが「所得倍増したい」と言った時に、「倍増は5年でできる」と言って、本当にそれを実現しているのです。それは下村さんの方程式で大体予想がついたようです。
大平さんは、高度経済成長を経て世界第二の経済大国になった日本が、輸出偏重の経済戦略を追求して、どしゃ降り輸出国として国際的な非難を浴びた頃に総理大臣になっています。国内では東京一極集中が過度に進んで、産業や生活に歪みの弊害が非常に目立ち始めた頃です。大平首相は日本の構造的な歪みを直視して、もっとバランスの取れた、ゆとりのある成長を目指すということで、「田園都市構想」を提唱されたわけです。
池田さんや大平さんのような宏池会の大先輩に共通するのは、その時の日本が直面する最大の政策課題は何かということを直視し、それを解決する戦略を、確かな理論的な裏打ちと現実的な資源配分によって実行したということです。
ですから、池田さんや大平さんが今の日本を見たらどう思うだろうかと、想像してみたいのです。
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