●アメリカで羽ばたいた3900羽の野鴨たち
行徳 この野鴨の哲学は、実は今から70数年ほど前に、一人のアメリカ人によっていわゆるビジネスの世界に持ち込まれました。それは、IBMの初代社長トーマス・ワトソンです。その当時は、確かトーマス・ワトソンは商人で、ミシンやカメラを車に乗せて売り歩く行商人でした。しかし、彼はこの野生の鴨の哲学に大変な衝撃を覚えて、わずかな社員たちと作った合言葉が、「野鴨たれ」です。
そして、この社員たちが3900人になったときに、トーマス・ワトソンの息子によって書かれたのが、『3900羽の野鴨たち』です。これは、アメリカでベストセラーになったことがあります。これを読んでいたのが、あのスティーブ・ジョブズです。
ジョブズというのは、もともと大変東洋的な思想に影響を受けた人で、彼は17歳のときに、インドを旅しています。大変にゼン・ブディズム(禅)に関心が強かったのです。その彼に、大きな影響を与えたのは、乙川弘文さんという禅宗のお坊さんです。ジョブズもその『3900羽の野鴨たち』に触発されて、そしてAppleをつくっていく。1回は大変な挫折を味わいながら、またよみがえっていくわけです。
そして、3900羽の野生の鴨たちがさらに羽ばたいて、今や世界的な企業、おそらく世界で最も魅力的な会社、IBMの創業の哲学となったわけです。これは私事になりますけれど、私の娘がIBMに行っておりまして、入社式で配られた冊子の表紙は野生の鴨でした。
●アサヒビールが示した「野生の鴨の教え」
行徳 この野生の鴨の教えというのは、日本にもあるわけです。これは、アサヒビールの中興の祖と言われた、ご存知の中條高徳会長(現・名誉顧問)に関連しております。
実は、戦前のビール業界は、大日本麦酒という会社がもう圧倒的な強さを持っていました。確か日本のシェアの7割近くを持っていたのですが、集中排除法を食らいました。やはり占領軍というのは、日本の帝国主義が再び力を持つことを大変に恐れまして、結果、片や武装解除、片や財閥解体です。私もその財閥系の会社におりましたから、その解体のすさまじさと言ったら相当なものがありました。三菱商事など、確か200社ぐらいに分断されたのですから。
大日本麦酒は真っ二つに割られました。それが、アサヒビールとサッポロビールです。その当時7割近いシェアだったのですから、それぞれ4割弱のシェアを持って分かれたはずですが、私は二つの会社ともに太ったアヒルだったと思います。鴨から転落して翔べなくなったアヒルですね。やはり王座に君臨していましたから。そうして、みるみるうちに落ちぶれていき、アサヒビールのシェアは確か10パーセントを割ったのです。そこへサントリーが新規参入してきたものですから、キリンとの板挟みになりました。
このように、アサヒビールは、マッキンゼーの1万人アンケートによると「アサヒビールなんかつぶれてしまえ」というような結果だったそうです。そういう状況の中で、私はやはり野生の鴨の教えを思い出しました。
中條会長はもともと軍人で、侍ですから。特に私の兄と陸軍士官学校の同期なのです。やはり侍の魂があったのでしょうか。スーパードライを引っさげて、あっという間にサッポロに追い付き、サッポロを追い越し、王国にいたキリンに追い付き、キリンを追い越して、今やビールの王国に返り咲かれたわけですね。
―― 中條先生が示された野生の鴨の教えですね。
行徳 私は、野生の鴨の教えを財界で最も体現された方は、やはり中條会長だと思います。ですから、私は中條会長にあだ名を二つ付けているのです。一つは、「野生の鴨」というあだ名。そしてもう一つは、「ラストサムライ」という、その二つのあだ名をお付けしているのです。