●全ての悪が芽生える「安住安楽」とは
行徳 この「野生の鴨」の教えとは一体どういうことなのか。キェルケゴールが吐いたセリフがあります。
人間の悪はどこから芽生えるのかという悪の始まりについての言葉で、「安住安楽こそ、すべての悪の根源だ」と言ったのです。
安住や安楽から悪が芽生えるとはどういうことか。「もう、これでいい。何とかなる。食べる心配も、着る心配も、住む心配もないではないか」というのが安住安楽です。
今の日本に当てはめると、鮮明に理解できます。日本人は、敗戦のがれきの中から、とにかくよく頑張りました。そして、築いたのが経済大国で、食べる心配も着る心配もなくなった。住む心配については、多少「狭い」という不服はありますが、これとてもありません。
私にとって大変癪なのは、「水」です。今は水が有料なのです。戦争中に育った私ですが、田舎に住んでいたせいもあり、「水に金を出す」という習慣はありませんでした。どこでも、水はタダで飲めました。極端に言えば田んぼの水だって、澄み切っていたら、飲んで下痢をした試しはありません。山に行くと、もう水はふんだんでした。もちろんタダです。こんなにおいしい水がタダで飲める国が、世界でどれほどあるでしょう。
●平和と向き合うためにキリング・フィールドに立つ
行徳 決定的なのは、「安全と自由と平和」です。何よりも「平和」という存在に対して、一体私たちはどれほど向き合っているでしょう。「平和とは何なのか」を考えているでしょうか。
外国の哲学者たちに日本人を一言で定義付けろと言うと「平和とおいしい水がタダで手に入ると思っている世界で唯一の民族、それが日本人だ」と言います。私たちは、やはり平和がタダだと思っているのです。
私は、若者たちを連れてよく旅をします。平和と向き合うために、いろいろな所に出向くのです。
遠い所では、カンボジアの「キリング・フィールド」まで、60人ほどの若者を連れて行ってきました。
キリング・フィールドというのは、映画にもなりました。野原があって、生えている草の間を縫って布地がそこかしこにあるのです。その布の下にあるのは全部、処理できない遺体です。あそこにあるミイラだけで、何千体を数えます。
―― 先生はそういう体験を通じて「野生の鴨」を取り戻すのですね。
行徳 ええ、そうです...