●イギリスとドイツの軍拡競争
―― つづきまして、出していただいたのが、イギリスとドイツの建艦競争です。
小原 これは先ほど(第5話で)も説明した通りです。
―― はい。
小原 これはここに本もありますが、軍拡競争です。この写真はヴィルヘルム2世です。彼が非常に野心的なイギリスへの海上覇権のチャレンジをするわけです。アルフレート・フォン・ティルピッツという海軍大臣がいましたが、彼の下で軍艦を大増強するわけです。
ここに表がありますけれど、1906年から1914年にかけて、イギリスとドイツがこのドレッドノート級という、当時は革命的だともいわれたような、性能が以前の軍艦に比べて圧倒的で強力な、海上の戦争をリセットするような軍艦を建造するわけです。
それを建造する競争として、それ以外の戦艦も含めてなのですけれど、ここに書いてあるようにドイツがどんどん造るのです。それに対してイギリスは、負けてはいかんということで、イギリスも軍艦を製造する。(そして)「ドイツの将来は海上にあるのだ」といって、こうした海軍の大増強をしたヴィルヘルム2世とイギリスがここでぶつかり合うわけです。
したがって、こうした軍拡競争というのは、その後も続くわけです。
実は第1次世界大戦の終わった後、皆さんも歴史で勉強されたと思うのですけれど、ワシントン海軍軍縮条約というものができるわけです。それでもって、1921年に海軍軍拡競争はそこで歯止めがかかるわけです。
この時には主力艦の建造を中止しようと。大尉以下を退役させて、海軍での軍拡競争をここで財政的にも余裕がないのでやめようではないかということで、ある意味で「海軍休日」のような言葉でいわれていますけれど、しばしの平和がそこで起きたわけです。
実際にはその後、ワシントン(海軍軍縮)条約が失効する1936年に日本が脱退して、そこからまた新しい海軍の軍拡競争が始まりました。それが第2次世界大戦につながっていくという流れなのです。
―― 日本でいうと、有名な戦艦大和とか、戦艦武蔵ができてくるのはその時期だったということですね。
小原 はい。そういう意味でいうと、まさに冒頭に(第1話で)いったような大国間の競争がシーパワー、ランドパワー、あるいはシーパワー同士の争いにもなりました。日本が失敗したのは、...