●ウクライナ問題は戦後世界の国際法違反、世界は経済制裁で反撃
ウクライナは、なぜあれほど問題になっているのでしょうか。すでに世界中で書かれていることですが、あれは19世紀的手法だからです。暴力、威嚇の下にクリミアを併合します。これは、明らかに戦後世界の国際法違反なのです。
では、何が国際法なのかと言うと、1928年にパリで世界15カ国(その後63カ国に増加)が参加し、「不戦条約」が締結されました。これが歴史的に大きな意味を持つものなのです。
これより前の世界は「帝国主義」ですから、戦争は「国権の発動」と見なされていました。ところが、不戦条約以降は、戦争は国権の発動ではなく、「犯罪行為」と位置付けられました。そして、犯罪行為を取り締まる役目は国連にあり、国連軍だけ取り締まることができるとして、連合国が戦後世界を設計したのです。
しかし、不戦条約を交したにもかかわらず第二次世界大戦が起きたことは、慚愧に堪えない事実です。
そうして今、ロシアがそれを平然と破っているのです。欧米諸国は、不戦条約があるため、爆撃はできず、経済制裁に入ったわけです。「フィナンシャルタイムズ」等では連日、「19世紀的暴力に対して、世界は20世紀的手法で反撃を加えている」と報道しています。日本も経済制裁に参加するのは当然ということになっているのです。
●オレンジ革命から100万人集会への紆余曲折
ウクライナでは、2004年に「オレンジ革命」という非暴力革命が起こります。これは、「バラ革命」「オレンジ革命」「チューリップ革命」と起きていく民主化ドミノ現象の一部です。アゼルバイジャンでは、その余波を受けたくないために、国内政治が強化されました。
「オレンジ革命」の立役者は、ヴィクトル・ユシチェンコという当時50歳になったばかりの若い政治家でした。金髪美人のユーリヤ・ティモシェンコが彼を応援し、時の権力者を追い払いました。
ユシチェンコ政権がEU加盟を模索し始めたため、警戒したウラジーミル・プーチンは傀儡政権としてヴィクトル・ヤヌコヴィッチを送り込みます。大統領となったヤヌコヴィッチは、自宅にゴルフコースをつくったりゴミ箱が黄金だったりと、贅沢三昧の暮らしだったようです。また、ティモシェンコなどが失脚させられ、牢獄の中で拷問を受けたりしたことは、全てプーチンの支配の下、ヤヌコヴィッチ政権の謀略と言われています。
2014年1月、市民の間にヤヌコヴィッチを追放しようという運動が高まりました。プーチンに泣きついたヤヌコヴィッチは、大規模な経済援助の約束を持ち帰るものの、国民は納得しません。そこでヤヌコヴィッチも妥協して、選挙の方法を変えようと約束したりするものの、裏では銃による粛清が続いていました。
大衆運動はさらに拡大して、キエフではとうとう「100万人集会」と呼ばれる規模にまで達します。ついにヤヌコヴィッチ政権は崩壊し、彼は国外へ脱出します。
●クリミア併合への経済制裁は、むしろ逆効果になっている
このような経緯で、ウクライナは急激に親欧米路線へ復帰します。ところが、その騒ぎがクリミアへ飛び火しました。2月末、覆面の親ロシア派がクリミアの議会を占拠します。これは、ロシア軍が後方から支援しているはずですが、欧米の追及に対してあくまでしらを切り、「どこにロシアの旗や名前が付いているのか、証拠を出しなさい」と言いました。もちろん、そんな証拠は消しているわけですが、すぐ足の付くことをプーチン政権は平気でやるので、厚顔です。
3月16日、ロシアへの帰属を問う住民投票が行われます。親ロシア派による支配の下、監視が行われており、投票用紙には「ロシアに入る」という条項しか書かれていなかったとも言われるほどです。9割が編入に賛成したことになり、ロシアのクリミア併合がロシア議会によって正式決定されます。欧米社会がこれに対して、痛烈な非難を浴びせているのです。
私は先日、イーホル・ハルチェンコという駐日ウクライナ全権大使とお会いする機会があったので、疑問をぶつけてみました。
「経済制裁は効かないのですか?」と聞くと、「全く効きません」という答えが返ってきました。
「プーチンを降ろすのに経済政策は全く役に立たず、むしろ逆効果だ」と、大使は言っていました。世界が「プーチンを抱えていると、君たちの国は経済制裁で損することになる」というシグナルを送ると、国民は逆に「世界中が寄ってたかって、われらの偉大なプーチン大統領を降ろそうとしている。けしからん」と結束が固まるそうです。
ですから、今のウクライナを取り巻く情勢は、無駄弾を打っている感じなのです。これはアゼルバイジャンと比較すると、何となく分かっていただけると思い...