●中東市民の対日感情とテロリストの論理
皆さん、こんにちは。
今日は、中東情勢の中でも最近日本では“IS”と略することの多い「イスラム国」の問題について、特に取り上げて語ってみたいと思います。
中東の国々やアラブの人々はよく親日的だと言われます。これは、一般論として決して間違っていません。実際、私もエジプトやトルコに長期滞在した時にそう感じましたし、彼らの人情や日本に対する好感度・信頼感というものには、誠に私たち自身が助けられた思いがしました。
しかし、今回のイスラム国や以前アルジェリアで日本企業の関係者を相手に引き起こされたようなテロ・殺害事件に接すると、違った印象を持つ人もいるかと思います。つまり日本社会の一部の専門家やジャーナリストの中からは、中東やアラブ側の日本を見る目が変わった、日本に対する姿勢や視点が変化したと主張する論説が、決まって現れるのです。今回の日本人お二人、後藤健二さんと湯川遥菜さんが殺害されたときにも、そのような論説が現れました。
しかし、よく考えてみましょう。中東の一般市民の人々や世論の中に日本に対する「好感度」というものはあります。しかし、イスラムの名を借り、あるいはイスラムを名分としたテロリズムによる日本人殺害やその予告に見られる「日本への敵対」や「日本人に対する脅迫」との違いには明白なものがあります。
市民の中にある好感度や親日的な気分と、テロリストの中にある反日的な姿勢や脅迫的な言説を区別するのは、当然です。それを区別しないで、あたかも中東の空気ががらっと変わったかのように論を立てる人が必ず現れるのは、誠に困ったものです。
●日本もイスラム・テロの脅迫や犠牲を免れない
ISのようなテロリズムの論理は、日本や日本人を含めて世界の誰でもターゲットにするのです。一体テロリストに親日や反日ということが、本当にあるのでしょうか。そんなことはあるはずもありません。
テロリストにあるのは、彼らの目標とする戦略と、その目標を実現する戦術です。拉致誘拐においては、人質から身代金を取るのと殺害するのと、どちらが得策か。こうしたことを、彼らにとっての中長期的な関心と短期的な利害から判断する極めてプラグマティックな論理があるだけです。テロリストになっても、自分は日本人が好きだとか日本を信頼するとかといったことが、テロの組織に果たして本当に存在するのかどうか、よく考えてみる必要があります。
いえ、よく考える必要さえありません。テロによる日本人への脅迫は、アメリカ人やフランス人のような欧米人が受ける危険と同じです。アメリカがイラクを攻撃したり、フランスが長い間アルジェリアを植民地支配していたのと比べて、日本人は中東では手が汚れていないから安全だというのは、全くおかしな話です。
ISやアルカーイダのようなイスラム・テロリズム組織の脅迫や犠牲というものに、差があるはずはない。また、そうした脅迫や犠牲の被害を一番受けているのは、むしろ他ならぬ中東に住む同じアラブのムスリム住民たちなのです。彼らが日本人に対して遠慮するいわれはなく、反日になったり、あるいは反日本人的になったりすることも、決して不思議ではありません。
●繁栄も平和も貧困・不安定と背中合わせの時代
内戦や戦争に苦しむシリアやイラクの難民はもとより、彼らを受け入れるヨルダンの国や国民も、テロや暴力の脅威と日常無縁ではありません。彼らに人道支援をするのは、誠に当然のことです。中東から帰ってきた安倍晋三首相が、その増額を明確に言明したのは、アラブの友・中東の友邦諸国として何かを成さんとする表れでした。それが人道支援であればなおのこと、誠に自然な振る舞いです。
これをもって、ISが後藤健二さんたち人質を処刑する口実になったと主張するのは、日本は水や食物の補給をやめろ、あるいは児童や乳飲み子に対する医療支援などの難民に対する人道支援全般から手を引け、と論じることに等しいのではないでしょうか。ひいては、ISによる攻撃リストや襲撃の対象から日本を外してもらおうという、ある意味ですこぶる卑怯な考え方につながるかもしれません。
そもそもグローバリゼーションの時代には、繁栄や平和は貧困や不安定と背中合わせになっています。日本が繁栄を保ち平和でいるためには、中東諸国からのエネルギー供給が不可欠であり、そのためには中東が安定していなくてはなりません。そこに猖獗(しょうけつ)するテロや戦争をなくす国際的な努力や営みに、日本が法的に許す限り参加するのは、誠に当然と言わなければなりません。
ヨルダンの苦境を見れば、日本が一国平和主義の固い殻に閉じこもってさえいればISなどのテロに脅かされないという幻想に浸ってはいられないことが分...