18世紀に「国家連合」というアイデアが生まれたのだが、そのアイデアの発端はフランスの聖職者・外交官のサン=ピエールであった。一方、モンテスキューは集団安全保障的な考え方から「小共和国による連合」「連邦国家」の方向を志向した。モンテスキューの思索は、やがてアメリカ合衆国(United States of America)という「連邦国家」の形へとつながっていくのだった。(2025年8月2日開催:早稲田大学Life Redesign College〈LRC〉講座より、全7話中第3話)
※司会者:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●「国家連合」案のオリジンはサン=ピエール
川出 さて、これからそれぞれ議論していきます。
まず平和を実現するために国家と国家を連合させればいいではないかという議論。これはサン=ピエール、のちにカントがそれを述べました。このあたりは微妙な関係に立っていて、カントのほうが有名人ですから、カントのほうがこの議論のオリジンだと捉えられることがある。ですが、もっと早くにサン=ピエールがそういったアイデアを発出したということを、まず議論したいと思います。
サン=ピエールはちょうどルイ14世が権勢を誇っていた頃に宮廷の中に入って、いろいろな書き物をしていました。ただ、本当は心の中ではルイ14世が大嫌いで、隠していたのですが、書いたものの中にそれがいろいろ滲み出ている。ルイ14世の戦争政策に対しても批判的で、結局、宮廷も追放されてしまったという人物です。今では、サン=ピエールの著作(すごく長いのですが)は日本語訳もあります。
さて、サン=ピエールがどういう議論をしたのか。簡単にいうと、彼は「勢力均衡による平和は長続きしない。あと一歩を踏み出さなければいけない」という議論を立てます。そのためにどうすればいいのかというと、国家と国家を連合する。具体的にどうするかというと、諸国家が――ここがポイントなのですが――1国1名の代表者を出し、その人たちが協議し、多数決で紛争を解決するという、一種の仲裁機関を設立しようというのです。
加盟国同士の間で紛争が起きたときに、緊急招集して、全ての加盟国が1国1名の代議員を出し、そこで議論して、多数決でどちらに理があるかを決める。加盟したからには、全ての加盟国はこの仲裁機関の決定に従わなければならない。「いやだ、そんな決定を私は聞きたくない」と言った場合、つまり違反者には軍事的制裁が科される。その軍事力も、この国家連合が自前の軍隊を設けて、軍事的なサンクションを科す、というわけです。やはりその部分においては、各国は主権を制約されるわけです。
●国内の主権は維持したまま、国際紛争は仲裁機関で解決
川出 ただ、そうはいっても加入国は、自国の体制、自国の国内政治に関しては、こうした仲裁機関から一切影響を行使されることはないし、加盟する段階においては厳格な現状維持です。この現状維持はすごく重要な考え...