秦が戦国七雄の中で天下統一を成し遂げるまで最も手こずったといわれるのが大国・楚である。楚との戦いでは、秦の武将・李信と蒙恬(もうてん)が20万の軍隊で攻めて敗北を喫した後に、名将・王翦(おうせん)が60万の軍隊で勝利を収めるが、その経緯は虚々実々で興味深い。また、王翦の息子・王賁(おうほん)が魏の都・大梁を攻略した水攻めや、斉の無血開城など、各国との多様な戦局が明かされる。さらに年代をさかのぼり、40万の軍隊が穴埋めにされたという有名な「長平の戦い」が繰り広げられた秦と趙の戦いも見ていく。(全9話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●秦が一番手こずったのは楚――李信の敗北と王翦の戦略
―― 趙と魏と韓はそれぞれどんな特徴があるのですか。
鶴間 魏は、先ほど言った商鞅の変法以来、秦の軍事力に負けて、安邑(あんゆう)から都を大梁というところに移すのです。
(地図を見ると)魏はあいだ(真ん中)に楔(くさび)のような韓が入っていますので、もう西は放棄するのです。ですから、大梁(たいりょう)に移った段階で魏は小さい国になってしまいます。大梁は現在の開封で、黄河の洪水によく遭う場所ですが、ここに魏は移っていくのです。
韓は最も小さい国で秦の隣なのですけれど、自分たちが生きていくためには秦との外交をやらなければいけないのです。『韓非子』の韓非は著作家でもあるのですけれど、始皇帝が韓非の書物に非常に惹かれたため、秦に呼ばれます。実は韓非は、李斯(りし)と荀子(じゅんし)の(同門、つまり)兄弟(弟子)関係にあったので、李斯は彼(韓非)の才能を知っていますから、彼が秦に入ったところで毒殺されてしまいます。(とはいえ)韓としては、生きていくためになんとか秦の侵略を止めようというところにあったのです。
―― このあたりが、先ほどおっしゃった「合従策」の一つの動機になってくるというところですね。
鶴間 そうですね。
―― それぞれの国の強さといいますか、戦力ということで朝日新書(『始皇帝の戦争と将軍たち』)のほうに書かれているのですけれど、一覧でいうとこんな感じ(以下スライド)ということですね。
鶴間 はい。いわゆる合従連衡の「合従」を主張した人々が諸国を回って秦に対抗しなければいけないということで、それぞれの国の情報を持っているわけです。これはその時の情報です。だから、おそらく(情報は)刻々と変わるのですけれど、特徴としていえるのは、例えば楚と秦は100万ほどの非常に大きな軍隊を抱えているということです。
ここ(スライド)には面積は書いていないのですが、国土が一番広いのは楚です。
―― 楚は地方五千里ですね。
鶴間 はい。そこに100万の軍隊がいる。これは後々のことですが、秦が一番手こずるのは楚なのです。
100万同士で戦うのですけれど、王翦(おうせん)とい...