秦に対抗する合従軍の侵攻は、恵文王、昭王、荘襄王、そして始皇帝の時代に発生している。荘襄王の時代には、魏の信陵君率いる5カ国軍が函谷関に迫り、始皇帝の即位6年目には秦の都・咸陽郊外まで敵軍が侵入する最大の危機を迎えたが、秦は辛うじてこれをはねのけている。秦王・嬴政(始皇帝)も「生涯10の危機」というほどの数々の危機を乗り越えてきているが、合従軍との戦いは都近くまで押し込まれた、まことに厳しい激戦だった。その戦いの真実に迫るとともに、高い文化を生み出した春秋戦国時代の遺産が、いかに秦の天下統一とその後の国家形成に受け継がれたのかを解き明かしていく。(全9話中第9話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●合従軍の虚々実々――小国の参加と滅亡
―― いよいよ合従軍といいますか、秦とそれ以外の6カ国の戦いということで、先ほども合従と連衡について、それぞれのお話をいただきました。ここは合従ということで、東方大平原の国々が縦に連なって一気に秦に向かっていくということですが、これも何回かあったということなのですね。
鶴間 ええ。私が数えるところでは、恵文王、昭襄王(昭王)、荘襄王、秦王・始皇帝(趙〈嬴〉政)の4回はありました。
―― それぞれどういうイメージでしょうか。
鶴間 恵文王の時には、先ほど言ったように王号を称します。国際的な関係は持ちながらも、秦の国力に対して、東方は合従軍で秦を攻めるということで、燕、趙、韓、魏、楚の5カ国がこれに参加します。この時、1つ面白いことがあります。まだ「宋」という国があるんですね。
―― ございますね。
鶴間 5カ国が秦に向かっている時に、宋は遅れて密かに王号を称します。王号を称して、「斉」と隣の「魏」と「楚」を侵略するのです。そういう行動に出ているということで、合従は皆、東方の国が1つになったわけではなくて、少し複雑な動きをするのです。これが恵文王の時の合従です。
その次が昭襄王の時の合従です。これには韓、魏、趙、斉が参加します。それから実は、宋と中山も参加しているのです。
―― なるほど。
鶴間 宋と中山がなぜ参加するのかは面白い現象だと思うのですけれど、まだ戦国七雄といっても小国はあるのですね。彼らは、自分たちが生きていくためにはこういう合従軍が結成されたら、それに参加しなきゃいけないと(考えていました。そうして)中山国が参加する。宋も参加する。
ところが、中山国は参加したその年に滅ぼされてしまいます。周りが趙、燕、斉で、その3カ国に滅ぼされてしまうのです。
実は戦国の中山国ですが、われわれにとって身近な(ものがあります)。中山王の陵墓が発掘されて、いろいろな出土品が出てきました。中山国は北方の遊牧民族の国だといわれていて、例えば、テントを組み立てる青銅の部品(が出土品の中にありました)。なので、少し特異な国として位置付けられるのですけれど、合従軍に参加しながら、その後す...