秦が中国統一を成し遂げる礎を築いた、恵文王、昭王、荘襄王の3代にわたる激動の時代。恵文王の時代には、豊かな水田稲作地帯である巴蜀や漢中に郡を置き、占領地支配によって国力を飛躍的に高めた。続く昭王の時代には、約半世紀の治世の中で宣太后らによる政治から親政へと移行し、名将・白起らの活躍によって楚の都を占領するなど東方へ領土を拡大させた。そして、荘襄王の時代には、呂不韋の登場と東周討伐で「周秦革命」を成し遂げた。後の始皇帝へと受け継がれる秦の強大な領域と、その覇権の基盤がどのように形成されたかを詳細にひも解く。(全9話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●恵文王の時代――巴郡・蜀郡・漢中郡を置いて占領地支配
―― 孝公の段階でかなり国力を蓄えて、いよいよ恵文王が王号を名乗っていくというところですが、恵文王がやったのはどういうことになるのでしょうか。
鶴間 恵文王はそこ(スライド)に張儀の名が出てきますけれど、巴蜀を押さえて一種の植民地にするんですね。
これにはいろいろと議論があって、なぜ中原ではなくて南に行くのかという議論なのですが、張儀の主張でそこを押さえたのです。巴蜀は非常に豊かなところです。
―― 先ほどの地図でいいますと、こちらが最初の第一期の地図になります。
第三期が(こちらですね)。
鶴間 巴郡と蜀郡という郡を置いています。だから、一気に南に領土が開けたということです。
―― なるほど。
鶴間 ここは大きな国があったわけではなく、山間にいろいろな部族がいるかもしれないけれど、抑えやすいところなのです。そして非常に豊かだということです。実は中国の中では秦嶺(しんれい)山脈を越えると(水田)稲作地帯に入るのです。
―― なるほど。
鶴間 秦の関中(秦の都・咸陽〈かんよう〉のある渭水〈いすい〉盆地一帯)は小麦地帯です。だから、小麦地帯から水田稲作地帯を押さえているのです。
―― (そうすると)それだけ人口も増えてくるし、経済力も増してくると。
鶴間 そうですね。(そこに)どんどん移民させますから。そこを押さえるということは、楚に対抗できるのです。
―― (なるほど)。あと、漢中郡とはどういうことですか。
鶴間 漢中郡は、秦の都・咸陽(かんよう)の南に秦嶺山脈があって、それを越えたところが、漢水(漢江)の上流です。ここも郡にしました。
ですから、巴蜀(巴郡・蜀郡)はもう少し西側ですが、ここも実は非常に豊かな(水田)稲作地帯です。そこも郡を置いたと。ですから、秦の領地には郡は置かず、占領したところに巴郡・蜀郡・漢中郡を置いて占領地支配をしていくのです。
―― なるほど。そういう形で、ある意味では六国とは違う方向に国を広げていって、国力を養っていくというところかと思います。
鶴間 まずはそうですね。
●昭王の時代――楚の都を占領した白起の活躍と宣...