●生死の境をさまよう中、『老子』に出会う
江戸の末期、基礎教育として四書五経を受けた人たちが、明治という近代国家をつくり上げたわけで、これは相当なことだと思うのです。内憂外患を収め、さらに近代国家を建設する力は、一体どこからきたのかといえば、やはり幼年時代に培った中国古典の四書五経の教えにあり、それが血となり肉となって、彼らの一働き、二働きを支えたと思います。
そういう意味で、私も中国古典思想が血となり肉となっているのですが、実はスタートは老荘思想からでした。そのきっかけは、私が25歳の頃、ジャーナリストとして、タイのバンコクへ行ったときのことです。朝の8時頃でしたが、取材地であるナコンパトムへ猛スピードで向かっていました。そこには、滑走路になるという一丁ほどのアメリカンハイウェイが走っていたのですが、見渡す限りきれいな田園地帯で、そこでたまたま、体が和牛の2倍ぐらいあり、角も立派という水牛2頭が、小さな子どもに引っ張られて脱穀をしていました。それは、家の前の小さな田んぼの中での光景でした。
「あれはいいな。あの水牛をカメラに収めていこう。ちょっと待っていてくれるか」と言って、そこで車を止め、ずかずかと田んぼに入って、その水牛を写真に撮ろうとしていたのです。結果から言うと、その時、私は、その水牛2頭の角で串刺しにされました。水牛は刺すと跳ね飛ばす習性がありますから、跳ね飛ばされた私の体は裂けてしまい、内臓から何から全部出てしまいそうなひどい状態でした。
そんなことで、病院へ担ぎ込まれて、生きるか死ぬかという、生死の境を行き来する状態が続いたのですが、そのさなかに、在留邦人の方が、「そろそろ退屈しているだろうから、何か本でも差し上げたらどうか」ということで、いろんな本を貸してくださったのです。その中に『老子』と『論語』があったのですが、特に『老子』を読んだ日は、とても落ち着きました。それまでは、寝ると翌朝にはもう目覚めないのではないか、寝ることは死を意味するのではないかと、死への恐怖を非常に感じて、眠ることが怖かったのです。ですから、なるべく眠らずにひたすら目を大きく開いていたのですが、そんな時に『老子』を読むと、何かさっぱりして、「ああ、今まで寝ていたのか」と目覚めた時に自分が寝ていたことも忘れるくらい熟睡することができたのです。それは、熟読というよりも、魂全体で読み進めるということですかね。さらに言えば、『老子』の説いている生死論が非常に素晴らしく、「死とはそういうものか」と救われた思いがしました。それは、25歳の時ですが、私は、そこから中国古典思想の世界へぐっと入っていきました。
そして、幸いにも日本へ帰ってくることができました。それから、死について中国古典を正式に勉強したのですが、それが中国古典思想研究の始まりです。ですから、最初は老荘思想です。
●老荘思想と儒家の思想は対になっているため、両方読むと理解が深まる
老荘思想を勉強すると、どうしても儒家の思想が知りたくなります。先ほどお話しした四書五経です。四書五経を読み進めれば進めるほど、老荘思想の深いところがよく理解できるのですね。これは対になっているのです。
江戸時代に、「上り坂の儒家、下り坂の老荘」という言葉がありました。江戸の人はすごいもので、思想を使い分けていたのです。つまり、自分が順風満帆にうまくいっているときは儒家の思想を使うのです。儒家の思想は、「このままでいいよ」という思想で、現行肯定なのです。その代わり、改善を要求します。『論語』では「多少の改善をしなさいよ」と、まさに言葉の使い方や態度を戒めているのです。さらに、今度は下り坂だなと思ったら、道家の思想、『老子』、『荘子』を読むことが求められるのです。これは何を要求しているかというと、イノベート、すなわち、革新をしなければいけないということです。これは、「前のあなたではもう通用しない。ここで新しい自分を発見して、さらに磨きをかけて、次の山を築くのだ」という意味で、下り坂では老荘思想を読むのです。
したがって、これはペアになっているものですから、両方を読むと、それぞれ非常に深く理解することができます。
これは二つとも性善説ですから、今度は性悪説が読みたくなります。そこで、『管子』や『韓非子』を読むのです。そうすると、両方ともよく分かるのです。さらに、今度は兵家の思想です。特に『孫子』、『呉子』は、思想書として読んでも一流です。
そういう意味では、このようなものを読むと、簡単に言えば、生命(いのち)を尊び、まっとうに生きる日々とはどう生きなければいけないことなのか、真剣とはどういうものなのかがよく感じ取れるのです。
特に人生論としては、『孫子』が中国...