●スクラム強化のためフランスで武者修行
── そういったことでチームが相当まとまり、だんだん清宮さんの色に染まってくる中、就任2年目には何をされましたか。
清宮 2年目は、強みをさらに強化するために、他のチームがやっていないことをやろうと考えました。おそらくこれは世界でも唯一だと思いますが、スクラムを組むためだけに海外遠征をしたのです。
── スクラムだけですか。ヤマハ発動機ジュビロ(ヤマハ)のスクラムは、確かに強いですね。
清宮 僕たちは、とにかく何か一つ突き抜けたものをつくろうと言っていて、その一つがスクラムだったのです。
スクラムは、試合の中であまり回数の多いものではありませんが、そこを制すればメンタル的に非常に優位に立てるパーツなのです。そのスクラムを、他チームのやらない独自の組み方で仕上げようということで、フランスへ行ったわけです。
フランスは、日本人と同じように体の小さい選手が多い国です。ですから、小さい選手が大きな体の選手たちにどう組んでいくかをずっと研究してきたのです。いわばスクラム文化のある国なのですよ。いろんなチームを回って、そのスクラム文化を見たかったのです。1人のコーチを呼ぶだけだと、そのコーチの色しか見られないですからね。
── その人の型だけになりますね。
清宮 そうですね。その型しか見られません。そこで、僕たちは15、6人で向こうへ行って、「スクラムを組ませてくれ」と頼みました。いわばスクラム武者修業ですね。いろんなチームを回ると、それぞれのチームに異なるスクラム文化があることが分かりました。それを実際に体験する中で、「あ、日本人に合うな」「これ、いただき」というものだけを取って帰ってきました。それを、「ヤマハのスクラム」を確立していくためのきっかけにできたのです。
●遠征先での大歓迎で選手の意識が変化
── どのぐらい行かれましたか。
清宮 2週間ほどで、8チームぐらいの門をたたきました。
── それはすごいことですね。
清宮 中にはプロの1部リーグなどもあり、ナショナルチームのメンバーが居るような上位チームの人たちも相手をしてくれました。とにかく向こうの人たちも、「お前たちは、日本からスクラムだけ組みに来たのか」と、驚くのです。
── 面白がられるわけですね。
清宮 面白がられました。「お前たちは、すごい。お前たちは、いいやつだ」と、大歓迎してくれるわけです。そうしてスクラム・セッションを組んだ後、ほとんどの相手チームがディナーをごちそうしてくれましたね。
── それも、すごいですね。
清宮 南半球ではちょっとあり得ない話です。そういうところに触れて、選手たちの意識が変わりましたね。
●ヤマハのスクラムをつくった長谷川慎コーチ
── それは変わりますよね。組み立てについては全部、清宮さんが考えられたのですよね。
清宮 実はスクラムにこだわったチームづくりは、僕が早稲田大学やサントリーの監督の時も、ずっとやってきたことなのです。その影には、長谷川慎という、今も右腕となって一緒にやってくれている仲間がいます。
── 有名なコーチですね。
清宮 長谷川慎コーチは、選手時代からサントリーのコーチ時代に至るまで、ずっと僕をサポートしてくれました。早稲田の選手たちにスクラムを教えたのも長谷川コーチだし、サントリーでも、サントリーのスクラムをつくっていったのも彼です。その長谷川コーチを口説いて、ヤマハへ引き抜いたわけです。
── 「一緒にやらないか」と、引っ張ってこられたのですね。
清宮 「一緒に日本のスクラムをつくろうよ。今、日本のスクラムといわれるようなものがない。日本人が一番力を発揮できるスクラムを一緒につくっていこうぜ」と言って、口説いたのです。それで、彼はサントリーを辞めて退路を断ち、ヤマハに来ました。
だから、僕はスクラム、スクラムと言っていますが、実際は僕がやるのではなくて、長谷川コーチがやるわけですね。もちろん彼には、新しい組み方をやるという構想やイメージは伝えてありました。「学ぶべきところはフランスにあるはずだから、フランスからヒントを得よう」と言って、まず最初に1人で行かせたのです。2、3週間後に帰ってきた彼は、「清宮さん、やっぱりフランスには面白いものがある」と言って、自分で新しいスクラムづくりに1年間こだわりました。そして、2年目は全員で行きました。2年間フランスラグビーと関わった中で、とても面白いコーチが居たので、3年目にそのコーチを呼んで、ヤマハのスクラムコーチをしてもらいました。
●4年間を象徴した決勝のラストスクラム
清宮 とにかく自分たちの型をつくろうとこだわってやり続けてきたことが、ようやくこの4年目で形になったという...