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DATE/ 2017.09.22

吉田松陰に学ぶ「深い読書」

 「本離れ」と言われながらも、書店では相変わらず読書法の本が平積みにされています。その多くが、本の「読み方」として、いかにたくさん読むか、速く読むか、効率よく読むかという点に重きを置いたものです。

 一方、かつてそうしたこととはまったく異なる観点から中国古典『孟子』を読み、独自の解釈を加えた思想家がいました。幕末の志士に多大なる影響を与えた吉田松陰です。東京大学東洋文化研究所副所長で東洋哲学・中国哲学に造詣の深い中島隆博氏は、松陰が著した『講孟余話』を取り上げ、「非常に面白い孟子の読み方をしている」と評価しているのです。

「おもねる」ことを戒めた松陰

 中島氏がまず注目したのは、吉田松陰が『講孟余話』の序文で「孟子におもねるな」と言っている点です。そもそも、何があっても生涯、藩主に「忠」を尽くすべきだと考える松陰にとって、生まれた国を離れて他国で士官した孟子は、無条件に受容はできなかったのです。中国古典において聖賢である孟子を尊重しながら読むのが普通であるのに、おもねることなく、その説に傾倒、埋没することを戒めている松陰の姿勢を、中島氏は評価しています。

 事実、松陰は孟子の思想を全面的に認めているわけではありません。孟子の「易姓革命論」については、批判すらしているのです。易姓革命とは、「天は徳の高い者を天子と定め、自らの代わりに万民を治めさせる。しかし、天子が天命にそむくという不徳を成した場合、天はその者に見切りをつけ、天命を革(あらた)める」という考え方です。

 松陰は、「日本は天皇の血筋を尊び、また君主の地位は世襲して絶えることがない」という国体を骨格としているとして、中国と日本の国体のありように一線を引き、易姓革命の思想そのままを受け入れることはできないとしています。しかし、その上で松陰は、征夷大将軍の交代を例に、「革命」を是認し、よりラディカルな世界への変容を遂げることを説いているのです。

深く読むことで、独自の解釈を得る

 もう一つの孟子の代表的な思想が性善説で、これは人間の本性は基本的には善であるというもの。「子どもが井戸に落ちようとしているのを見れば、人は誰でもそれを助けるだろう」という孟子のたとえを、「惻隠の情」という言葉とともに記憶している方も多いでしょう。

 この性善説についても、松陰は一歩踏み込んで論じています。「田舎の農夫や老人が、外国で起きている横暴を知って怒りを覚えるのは、“性善”として当然である。しかし、将軍や藩主といった君たる者はそのような外国の横暴を見ても、身を投じてそれを救おう、正そうとはしない。それは彼らが“性善”ではないからだ」と述べ、性善説を政治の問題と結びつけて論じているのです。中島氏は、一般的には道徳論、倫理論にとどまってしまいがちな性善説だが、松陰のようにその本質に政治的要素を見出した例は少ないと言い、その洞察、考察の力を称賛します。

松陰が実践した「実存的な読み方」

 性善説にせよ、何にせよ、「聖賢」の説くことだからといって決して鵜呑みにしない。これが松陰ならではの解釈の仕方ですが、そのために松陰は独自の「読み方」をしています。松陰はまず、口に出して読む・音読をすると言っています。さらに、それでも自分の読み方が足りないと思ったら、紙に書く、と徹底します。黙読だけでは足りず、いわば目と耳と口と手、五感を駆使した読み方といえるでしょう。中島氏はこれを哲学になぞらえて「実存的な読み方」と評価します。

 現代において、とくにビジネスマンの間では、多読、速読がよしとされ、たくさんの本を、しかも速く読むことが「すごい」と評価される傾向にあります。ですが、一冊の本を深く読む、繰り返し読む大切さも忘れてはいけない。そのことを松陰から学ぶことができるのではないでしょうか。

 松陰流の精読、いわば「実読」とでもいえるような読み方を、読書スタイルの一つとして取り入れてみてはどうでしょうか。
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