●我こそが孟子を読むことができる
せっかくの機会ですので、『講孟余話』を少しだけ読みたいと思います。その序文にはこんなことが書かれています。
“孟子は聖人の亞(※)なり、その道を説くこと著明にして人をして親しむべからしむ。世、蓋(けだ)し讀(よ)まざるなし。”
※次、二番目、準じているということ。
孟子は聖人に匹敵するものである。だから、その説く道に対しては、皆、親しんでいくものであり、読まないわけにいかないのだ、ということです。これは、孟子のある種の普遍性に関わる問題を提起しています。ところが、こう言います。
“讀みて而(しか)も道に得る者、或は鮮(すくな)し。何ぞや。”
読んでも道を得ることができる者は少ない。どうしてなのか。ここで松陰は次のように言います。
“富貴貧賤、安樂艱難の累(わずら)はす所となりて然るなり。”
人間には、自分が置かれている条件がある。そのため、なかなか『孟子』をきちんとつかまえることができない。特に「富貴」「安樂」といった「順境」にある人はそれができない。自分のように、「艱難」「貧賤」といった「逆境」にある者こそが、『孟子』を読むことができる。松陰は、こういう言い方をしています。非常に松陰らしい口吻だと思いますが、これは通常の状況にいる人が『孟子』を読むことなどできるのだろうかという問いを出しているわけです。
松陰は、こんなことも言います。
“孟子の説は固(もと)より瓣(べん)を待たず。然れども之を喜びて足らざれば乃ち之を口に誦(よ)み、これを誦みて足らざれば乃ち之を紙に筆す。亦情の已(や)む能(あた)はざる所なり。”
松陰は、われこそが『孟子』を読むことができると言います。そのとき、『孟子』を読んで喜びが湧いてきます。そして口に出して読む。それでも十分ではないと思えば紙に書く。「情の已む能はざる所なり」、つまり、非常に実存的に『孟子』を読み、『孟子』に迫るということです。普通の注釈家が『孟子』を読む態度とは全く違う態度を、松陰は「序」で述べているのです。
●ただ孟子を継承しているわけではない
恐ろしいのは、その冒頭です。原文もあるのですが、松本三之介先生・田中彰先生・松永昌三先生が行った非常にいい翻訳があるので、それを基にしてお話をしたいと思います。
『講孟余話』の最初で、松陰はこんなことを言っています。これは朱熹の『孟子集注(しっちゅう)』の序説にある「孟軻は騶人(数の人)なり。齊の宣王・梁の恵王に遊事す」という短い部分に対する松陰の批評です。冒頭が恐ろしいです。
“経書を讀(よ)むの第一義は、聖賢に阿(おも)らぬこと要なり(経書を読むにあたって、第一に重要なことは、聖賢におもねらないことである。)”
こんな宣言で始まる『孟子』読解など普通はないわけです。聖人、もしくは聖人に次ぐものとしての孟子を読むという場合、基本的にはそれらを尊重して読むわけですね。ところが、松陰は違います。「聖賢におもねってはいけない」と言うのです。こういう読解は、普通できません。
孟子の何が松陰には引っかかるのか。彼はこう言っています。
“聖賢といわれる孔子や孟子のような方も、自分の生まれた国を離れて他国に行き仕官されようとされたが、これはなんとも納得のいかぬことである。”
この背景にあるのは、松陰なりの「忠」の考え方だと思います。どんな状況にあっても自分がお仕えしている君主、もしくは藩主に対して「忠」を尽すべきであって、他国に行くなどということはできない。そこで、こんなことを言っているのです。
“諌死するもよし、幽囚の身となるのもよし、食を絶って餓死するもまたよいではないか。”
松陰は非常に冷静ですので、なぜ自分がこんなことを言うのかも述べています。
“この議論は、そもそもわが国の国体に即して出てくる議論である。漢土にあっては君たる道も自然違ってくる。”
なぜか。
“わが国は、上は天朝より下は列藩にいたるまで、君たる地位は千万世にわたって世襲し絶えることがない。この点は、とうてい漢土などの比肩しうるものではないのだ。”
これは、いわゆる国体論の骨格であり、水戸学を継承したものです。さらに松陰はこんなことを言います。ここでは、ヨーロッパのことを念頭に置いています。
“わが国体がそもそも外国とは異なっている、その意義を明らかにし、日本全体のためには全国の人すべてがいのちを投げ出し、藩全体のためにはその藩の人すべてがいのちを投げ出し、臣は君のために殉じ、子は父のために殉ずる、という志さえ確固不動のものとなっているならば、どうして西洋諸国を恐れる必要があろうか。”
すごいですね。もちろんこういった事態は、そう簡単には起こりません。し...