●松陰の短い生涯そのものが唯一の主著
藤田省三さんは丸山眞男との間には非常に親しい関係があったので、二人の松陰像が似ているのは、当然といえば当然かもしれません。藤田さんは『松陰の精神史的意味に関する一考察』(1978年)という論文を書いています。そこで述べられていることを紹介したいと思います。これは、これまで縷々(るる)述べてきた思想家・松陰に対する考えを、藤田さんなりに非常にうまくまとめたものだと思います。こう言っています。
“或る人の作品が独立してどんな時代に対しても一定の普遍的意味を持っている事を「思想家」の要件であるとするならば、松陰は思想家とは言い難い。彼にはそういう作品がないだけでなく、そういう作品を生み出すための精神的基盤が―「世界に対する徹底的な考察的態度」―がおそらく欠けていたのである。”
これは、井上哲次郎の松陰評をある仕方で受け継いでいますが、藤田さんはそんな単純な人ではないので、この松陰のあり方から、可能性としての松陰をあぶりだそうとしていると思います。次に紹介するのは非常に印象的な部分で、こんなことを言っています。
“松陰には主著はなく、彼の短い生涯そのものが彼の唯一の主著なのであった。”
ですから、実は松陰について論じる場合は、ほとんどが松陰伝になるのですね。今でも松陰伝という形のものがほとんどだと思います。そのことの意味を、藤田さんは明確にしています。彼の短い生涯そのものが、唯一の主著なのだということなのです。
●制度化に収まらない宗教的絶対性の可能性
そして、前回取り上げた宗教性に関して、こんなことを言っています。
“しかし他面では、一度、忠義の廻転が絶望的に見えるようになると、「もはや天朝もいらぬ、幕府もいらぬ、君侯もいらぬ、忠義をつくすにはこの六尺の微躯一つだけあれば沢山だ」という忠義の個人的内面への収斂が現われるのであった。忠義という君臣社会の現世的倫理がここでは現世性を投げ棄てて、殆ど宗教的なまでに超越化しようとしている。それは超越的価値に対するものではないから客観的形態における宗教とはなり得ないけれども、彼吉田松陰の内面においては宗教的な機能形式をとっていたのである。本来、宗教に似て非なるものであった忠義が、周囲の世界の全てから裏切られ、その孤独の中でいよいよ深く確信されていった時、一個の宗...