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丸山眞男が吉田松陰に見出したナショナリズム

吉田松陰の思想(上)松陰像の変遷(4)宗教性とナショナリズム

中島隆博
東京大学東洋文化研究所長・教授
概要・テキスト
さまざまな吉田松陰像に共通するのは、絶対的な者に対する没我、すなわち宗教性である。それが戦前では熱狂的な国家主義に「悪用」されたが、それを超えた「健全なナショナリズム」へと進む可能性もあったのではないか。奈良本辰也氏の著作、丸山眞男氏の論文を手引きに、東京大学東洋文化研究所教授・中島隆博氏が、松陰の思想の知られざる潜在性を明らかにする。シリーズ「吉田松陰の思想」第4回。
時間:13:00
収録日:2015/02/26
追加日:2015/07/23
≪全文≫

●奈良本辰也の松陰像(2)松陰の中の宗教性


 ところが、奈良本辰也先生が『日本の思想 吉田松陰集』(1969年)をまとめた際に出された松陰像は、それまでとはまた違う松陰です。これは非常に面白い松陰像ですので、紹介したいと思います。こんなことを言っています。

 “むしろ非合理的なもの、神秘的なものこそが、その中心にこなければならないのである。ヨーロッパならば、キリスト教の神がその中心に座を占めることができた。しかし、わが国では宗教はあまりにみじめにたたきのめされていたのだ。近世の儒教的インテリゲンチャーは、すべて無神論であり、排仏論者であった。人々が頼るべき神々の多くは、ただ世俗の信仰として、大衆のなかに眠っていたのである。

 だから、松陰の思想が人々の上に絶対的な統一の原理を探り出そうとすれば、そのような神話であり、天皇の絶対的な信仰であった。”

 もちろん、松陰の国体の思想は喧伝されていくわけですが、その松陰の中にある種の宗教性を見ると言っているのです。それが、ある方向に強調されることで、熱狂的な国家主義につながっていったのだと書かれています。しかし、同時に、別の方向に行くこともできたのではないか。おそらくそういう感覚を、奈良本先生は持っていたのだろうと思います。

 私は、これが非常に大事なポイントだと思っています。時務を論じたり、教育家であったり、歴史家であったりする、それはそれで、松陰の像を表していると思うのですが、だとすれば松陰がなぜあそこまでパッショネイト(熱狂的)な仕方で状況に介入していくのかという疑問に対する根拠がないといけないと思うのです。

 奈良本先生が考えたのは、ここではキリスト教の神に匹敵するものだと言っていますが、何らかの宗教性が松陰にはあったのだろうということです。ところが、その宗教性を、日本は江戸の末期や明治でもそうでしたが、抑圧をしていました。松陰はそこに触れていたのではないか。それが悪い方向に行ってしまうと国家主義になってしまうが、そうならないやり方もあったのではないのかということです。これは、重要な指摘だと思っています。


●丸山眞男の松陰論─ナショナリズムとして読む


 このことは、実は丸山眞男の松陰論にも関わってきます。あるいは、丸山の松陰論から奈良本先生が影響を受けた可能性の方が、私は大きいのではないかとい...
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