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DATE/ 2025.05.29

『数学の言葉で世界を見たら』に学ぶ自分の頭で考える力の源

 日本では小学校で算数を、中学校と高校では数学を学びます。特に数学ではひたすら公式を覚えた経験のある人も多いのではないでしょうか。ただし、その公式がどのような歴史を経て、人間のどのような営みの中で生まれ、どのように活用できるのかまで学ぶ機会は多くないでしょう。

 こういった数学の歴史、数学的な考え方の意味や価値に触れながら、数学について実践的に語る書籍が『数学の言葉で世界を見たら』(大栗博司著、幻冬舎新書)です。本書によると、数学とは「英語や日本語では表すことができないくらい正確に、物事を表現するために作られた言語」です。

 著者の大栗博司氏は、1962年岐阜県生まれの物理学者です。現在は東京大学特別教授、カリフォルニア工科大学フレッド・カブリ冠教授、ウォルター・バーク理論物理学研究所所長など複数の立場で活躍しています。京都大学大学院修士課程を修了後、現在までにシカゴ大学助教授、京都大学数理解析研究所助教授、カリフォルニア大学バークレイ校教授等を歴任。さらに理論物理学での業績により、紫綬褒章やアメリカ数学会アイゼンバッド賞、中華人民共和国先端科学賞などさまざまな受賞歴があります。他の著書としては『重力とは何か』(幻冬舎新書)、『大栗先生の超弦理論入門』(ブルーバックス)をはじめ、多数出版されています。

1/2よりもほんの少しだけ大きな確率ならほぼ確実に勝てる

 本書の序盤では、世の中のさまざまな事例について数学的見地から分析がなされます。ここではギャンブルの事例を見てみましょう。例えば、コインを投げて表が出るか裏が出るか賭ける場合、コインに癖がなければどちらも確率は1/2です。癖がある場合も含めて考えるために表が出る確率をp、裏が出る確率をqとします。コインは表か裏しかないので、p+q=1という関係があります。

 2回連続して投げて2回とも表になる確率はp×p=p2(pの2乗)です。これをn回連続して投げてn回とも表になる確率はpn(pのn乗)となります。pは1よりも小さいのでnが大きくなるとpn(pのn乗)はどんどん小さくなります。つまり連続して何回も勝つことは起きにくいことがわかります。

 では最初にm円持って1円ずつ賭けていきましょう。そうして目標値N円を設定して、このN円に到達するかゼロ円になって破産するまで賭けます。ここで勝って(目標値に達して)帰れる確率をP(m,N)と書きます(Pは“Probability”の頭文字で確率を表す記号)。この確率が1/2より大きければ勝つ見込みがありますが、逆だとやめておいた方がいいというわけです。

 この計算式はP(m,N)=(1-(q/p)m)/(1-(q/p)N)となります(公式の詳しい説明は割愛させていただきます)。ここで例えば、p=q=1/2(癖がないコイン)では、100円を持ってギャンブルに行き持ち金を倍にしたら帰る場合、P(100,200)=1/2。つまり、持ち金を倍にして帰る確率と、破産する確率は五分五分です。

 ここでギャンブルの胴元がコインに細工してp(表が出る確率)=0.49、q(裏が出る確率)=0.51とした場合、P(100,200)≒(ニアイコール)0.02となります。つまり、持ち金を倍にして帰れる確率は2パーセント(50回に1回)、つまり98パーセントの確率で破産することがわかります。これが、カジノ経営が儲かる理由です。このように、胴元がpをコントロールできるギャンブルでは、つぎ込めばほとんど確実に負けます。

 このことは逆も同じです。本書では「大きな成功をした人は、普通の人にはない特別な才能があるように見えるかもしれない。もちろんそういう場合もあるけれど、普通の人とあまり変わらなくても、積み重ねる確率をほんの少しずつ有利にするだけで、長い目で見て差ができてしまうこともある。そういうことをこの確率の公式は教えているように思う」といいます。

負の数に負の数を掛けるとなぜ正の数になるのか

 もう一つ、素朴な疑問について考えてみましょう。私たちは中学校の数学で、負の数に負の数を掛けると正の数になると覚えます。なぜこうなるのでしょうか。順を追って考えてみます。

 まず(1-1)に意味をつけるために、新しい数「0」が考えられました。同じように、(1-2)に意味をつけるために定義されたのが負の数「-1」です。この数は1+(-1)=0という性質を持ちます。これは1+(-1)=1+(1-2)=(1+1)-2=2-2=0と示されます。同じように、2+(-2)=0、100+(-100)=0が成り立ちます。つまり、どんな自然数aについても、a+(-a)=0です。

 これを踏まえて、毎日100円ずつ使わないで貯金する場合を考えてみます。1日経つと100円、2日経つと200円、n日経つと100×n円貯金することになります。ここでnを負の数(n=-1)にすると、つまり昨日は今日より100円お金が少なかったので、100×(-1)=-100です。ポイントは引き算と掛け算の分配則(a×(b-c)=a×b-a×c)です。負の数(-1)が-1=1-2だったことを思い出すと、100×(-1)=100×(1-2) = 100×1-100×2 = 100-200=-100と、100×(-1)=-100を導けます。

 これをもとに負の数と負の数の掛け算について考えます。毎日学校帰りに100円のジュースを買い、その分のお小遣いがもらえないとすると、貯金は毎日100円減ります。n日経つと100×n円減る、これを(-100)×nと表します。ここで、1日前のことを考えて、n=-1とした場合、100円ずつ貯金が減るので、昨日は今日よりも100円多く貯金があったはずです。つまり、昨日は(-100)×(-1)=100でなければなりません。

 これも先ほどの分配則から導けます。負の数の基本的な性質100+(-100)=0の両辺に(-1)を掛けると、右辺のゼロには何を掛けてもゼロなので、(100+(-100))×(-1)=0×(-1) =0です。この左辺に分配則を使って分解すると、100×(-1)+(-100)×(-1)=0。この左辺の第一項に、先に示した100×(-1)=-100を使うと、-100+(-100)×(-1)=0となります。最後に両辺に100を足せば、(-100)×(-1)=100となって、負の数(-100)と負の数(-1)をかけると正の数100になることが示されます。

自分で考えるためには数学が必要

 本書では、他にも「原発重大事故が再び起こる確率」や「人類はどれくらいエネルギーを消費しているか」といった現実問題に関係する計算から、「アルキメデスのはさみうち」といった図形の面積の測り方、空想の数、宇宙に関する数学といった数学に関連するあらゆる状況が取り出されています。

 本書の最後で大栗氏は次のようにいいます。「数学と民主主義は、どちらも古代ギリシアで誕生しました。数学は、宗教や権威に頼らず、万人に受け入れられた論理だけを使って、真実を見出す方法です。上から押し付けられた結論を受け入れるのではなく、一人ひとりが自分の頭で自由に考え判断する。このような姿勢は、民主主義が健全に機能するためにも必要です」

 言い換えれば、現実のさまざまな関係性や気遣いから離れて純粋に論理で考えることができる、ということです。これはとても心強いことではないでしょうか。つまり数学を学ぶことは、自身の価値観や現実感覚を鍛えることでもあります。ぜひ本書を開いてみることをお勧めします。改めてより深い数学の意味と価値を感じる経験になることは間違いありません。

<参考文献>
『数学の言葉で世界を見たら』(大栗博司著、幻冬舎新書)
https://www.gentosha.co.jp/book/detail/9784344987609/

<参考サイト>
大栗博司氏のX(旧Twitter)
https://x.com/PlanckScale

大栗博司氏のHP
https://ooguri.caltech.edu/

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今井むつみ
一般社団法人今井むつみ教育研究所代表理事 慶應義塾大学名誉教授