●「五誓」の中で一番好きな言葉が「先駆開拓」/佐野尚見
私は、政経塾に来るまで「五誓」を知らなかったのです。見た瞬間に、一番好きな言葉が「先駆開拓」でした。会社にいたら、この言葉を後ろに貼って仕事したかなと、そんな気持ちになりましたね。
あの言葉もそうですし、七精神もそうですし、一つ一ついえば、本当にいろんな思いがこもっている言葉です。松下幸之助さんのお話を聞いていますと、七精神というのは、一番大切なのは産業報国であって、あとの六つはそれをカバーする考え方だということです。しかも、それは日本精神そのものであると、松下電器ではそうおっしゃっていました。
ところが、政経塾に来て、いろいろ聞いてみますと、日本精神とは何かというと、「主座を保つ」とか、「和の精神」だとか、「衆知を集める」とおっしゃっていますね。それから「成功の要諦」。これについて松下電器では何を言っているかというと、成功の要諦というのは、経営理念が共有化されて、そして、生き生きとした組織や風土ができれば、社員が生き生きとして働ける環境ができれば、それは80パーセント成功したといえる、ということでした。
ですから、事業をやっておられるときの松下さんと、政経塾の人に話す内容とが少し違うのかなと思います。根っこは一緒なのだけれども。
●もはや電器会社のオーナーの発想ではない/野田佳彦
大きな企業に入ったり、役人になったり、一回切符をつかむと、一定のペースでどこまでハイウェイを走れるのか、と見通せる人生もあるじゃないですか。当時の塾生も皆、本当はそういうことを選択しかかったメンバーばかりだったと思うのです。
皆、そういう人なのだけれども、「ちょっと待てよ」と。そのハイウェイを走っていくこともいいけれども、自分でツルハシを担いで道を切り開いていくというところにもロマンがあったりする。もちろん相当苦労するだろうけれども、そこには日本のために何かできることがあるんじゃないか、と思った人たちが集まった。その求心力は、やはり松下幸之助という人だったということですよね。
無税国家から、新国土創成から、それはもう全て電器の会社のオーナーの発想ではないわけです。日本をどうするか。しかも、今の日本だけではなく、200年、300年先を考えて、構想をど真剣に考え抜いていた。その方と年に何回もお会いできるというチャンスに恵まれたことが、入塾案内のパンフレットを求めた時にはまず分からなかったけれど、創設者の熱い思いをだんだんと理解していくプロセスがあったということですよね。
しかも、それは基本的に政治を通じてやるしかない。政治を通じてやるときに、先ほど言った「地盤・看板・カバン」はないけれど、そこで勇躍チャレンジし、一挙に飛び込む決意ができるかどうかというのは、塾の5年間で志を固めていくのです。
松下さんは「経営の神様」と言われたけれども、零細企業からスタートして、病弱だったし、学歴もなかったという、ハンディキャップだらけなのだけれども、そこまでいった人じゃないですか。ならば、自分たちだって、政治の世界ではハンディキャップだらけからスタートするかもしれないけれども、松下さんに接したわけですから。松下さんは経営の神様だった。私も弟子の一人として、いろんなハンディはあるけれど乗り越えていけるんじゃないかという、漠たる自信をだんだん持てるようになっていったということが大きかったと思います。
あくまで漠たる自信ですよね。松下さんはそうだったけれど、自分ができるかは全然分からなかったのです。でも、そこに挑戦しようという気になったということですよね。
●信念に比例して賛成者が増える
まあそう心配しなくても大丈夫。志を持ったら、志がぐらついたらいけないけど、確固たる志を持ったら、必ず皆、頼りにしてくる。頼りないことを言っていたら、それは頼りにならないけど。
だから、諸君の信念が強ければ、信念に比例して、賛成者が増える。諸君の信念にそういうものがなかったら、弱さに比例して少ない、票は。だから、投票を決定するのは、投票者にあらずして、諸君にある。諸君自身にある。諸君の信ずる通りになる。わしはそういう感じがする。演説するのでも、君、心配そうな顔をして演説したら、誰も見ない。だから君、自信に満ちたことを言ったら、うそでもそんなふうに思う。うそはいけない。うそはいけないけれども、そんなものだ。
●ゼロスタートの苦労/佐野尚見・野田佳彦
佐野 あの頃、PHPの本を売るために戸別訪問で回っていても、東京の人はほとんどまだ「PHP」という名前を知らなかったのですね。しかも一番嫌だったのは、世田谷辺りのお宅に行くと、そのインターホンがまたナショナル製なのですよね。...