●「猫に小判」じゃ駄目だ~君らは辛酸を舐めていない~
君らは辛酸を舐めていないだろ。つまり君らは、心眼が開けていない。経営というものについては心眼が開けていない。だから分からない。(販売実習に行った販売店は)人の育て方、人の使い方、お得意先に対しての仕事の仕方、その全部を持っている。
君、「猫に小判」という言葉があるだろ。猫に小判だったら駄目だろう、君は、その猫に小判の方だ。
だから、そんなふわふわしたことでは何もできない。それは身に染みていない。経営なら経営ということの、大事なことが、身に染みていない。君が身に染みとったら、ぴーんと皆分かる。それを、うかうかしている。ある程度、まあいいところを取ろうと思っているのだろうけれど、その取ろうと思っている熱意が足りない。熱意が強いと、皆ぴんぴん分かる。それではどこでやっても駄目だ。そういうことでは。
君、猫に小判になったらいけない。小判の価値判断ができるか。小判の価値判断ができなければいけない。だから帰ってきて、その商売というものはあんなに熱心にやらなければいけない、店員を使っていくのにあそこまで細々とした思いやりを持たないと店員は使えないというようなことを、非常に身に染みて分かったといって報告しなければいけない。10人なら10人の人をこうして養成している。その養成でも、引き伸ばすようにしてやっている。並大抵でない。その苦労を察したなら、呑気なことを言っていられない。
向こうの人がよく動いているというのは、あの社長の下で、社長以下感激してやっているということ。だから1年もいたら、もう立派に間に合う人間になる。そういう一番肝心要のところ、一つの経営体でも、人使いがうまい会社でなければいけない。人使いが下手な会社は成功しない。人使いというものは、非常に難しい問題。
15、6歳のぼんさん(子ども)でも、どういうふうにどう育てたらいいとか、将来こういう大人になるというようなことをよく考えて、いわば痩せる思いで使っている。その思いを察しないといけない。それを察することのできない人では、とっても経営者になれないと、私は思う。
店に来るお客さんは、ここの店主は経済学博士で有名な人だからといって、物を買おうとは思わない。経済学博士でなくても、ここのおやじさんは学問も何もないけれど、なんとなくその店に行ったら感じがいいな、丁寧に扱ってくれる、置いてあるものもいいな、と思ったら来る。それが成功のもと。
●お叱りのパンチを受けて皆、しゅんとなった/野田佳彦
やはり松下さんにとっては、販売店といったら、もういっぱい学ぶべき宝庫みたいな所なのに、「君には猫に小判だったのか」というような言葉を使われたので、これは怖かったですね。
その頃、お怒りモードが2カ月、3カ月続いていたのです。松下さんの耳に入ってくる言葉は、塾生に覇気がない、元気がなくなっているということで、そして直接話を聞いてみると、その程度かというふうに思ったのだと思います。だから、1年が修了する直前に、総括的に話をされたのですが、特定の誰かが叱られたというよりも、もう皆がしゅんとしたのです。「お前ら、そんなもんか」と。猫に小判というのは特定の誰かに対してではなく、「お前たち、そんな程度でやっているのか」というようなお叱りを受けまして、そんなパンチを皆が受けて、しゅんとなりました。
それは、22、3歳の大学を出たての、あるいは、多少社会人の経験者もいましたが、20代の前半の若者たちが、「経営の神様」といわれている松下翁に接する機会がいっぱいあって、その人に期待をされながら、ど真剣な教育を受けながら、そして、研修のいろんな場所も提供してもらいながら、ほぼ1年たった時に、猫に小判ですから、しょげますよ、これは。もうガクっときましたね。
その翌日に、1期生の修了式がありました。修了式で、1年の総括について、たまたま代表ということで謝辞を申し上げる場面がありました。いろんな総括をしながら、「それでも頑張っていくぞ」という気持ちを塾長にどうお伝えするかということを、寝ずに考えてました。しゅんとしながら、ね。
ここで駄目と言われてへなへなとしてしまったら、本当に皆、駄目になってしまうのではないかと思いましたので。塾長も真剣な思いで松下政経塾をつくって、世直しをしたいと思っている。われわれは未熟で、まだまだ本当に厳しい評価は受けていないけれども、「もうちょっと待ってくれよ、しっかりやりますから」というメッセージをお返ししたいという、その一点だったのです。
謝辞を聞いている間も、やはり比較的怖い顔でずっと聞いていらっしゃったのですよね。前日はとても怖かった。前日だけではなく、1、2カ月ずっと厳しい空気...