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常に志を抱きつつ懸命に為すべきを為すならば

松下幸之助の人づくり≪1≫真のリーダーとは(6)わしなら人がたくさんいる前で皿回しやる―素志貫徹

松下幸之助
パナソニック(旧松下電器産業)グループ創業者
情報・テキスト
松下政経塾の「五誓」の中の最初の誓いである「素志貫徹」。松下政経塾第1期生で第95代内閣総理大臣・野田佳彦氏の座右の銘でもあるが、この言葉の本当の意味を実感できたのは、塾生時代ではなく、政治家になり、選挙に落選した時だったという。政治活動を始めて25年間、毎朝欠かさず街頭演説に立ち続けた野田氏を支えてきた「素志貫徹」精神に迫る。(第1章6話目)
時間:08:24
収録日:2015/06/17
追加日:2015/11/26
カテゴリー:
≪全文≫

●社会に出て、格闘し、ようやくあの言葉の意味が分かった/野田佳彦


 松下電器は、朝礼を通じて、七精神を含めて、社員が唱和をしながら、毎日毎日続けることによって、皆が共有するということをやってきた会社だったのですね。その精神で多分、松下政経塾も「塾是」「塾訓」、それから五つの誓いである「五誓」を、毎朝朝礼で唱和をしたのでしょう。

 しかし、塾にいた間は、ただただずっと反芻するだけなのですよね。意味もよく分からないけれども、松下幸之助さんが長い人生の中で培ってきた理念や考え方を、毎日唱和することによって少しでも覚えていこうということでやっていたと思うのです。

 これは塾長がおっしゃる通りでしたが、やはり社会に出て、現場に出て、格闘して、ようやく「あの言葉とはこういうことだったんだな」というのが分かることがたくさんあります。政経塾の場合では、例えば五誓です。私は、いつも色紙にも書くのですけれど、「素志貫徹」。「常に志を抱きつつ懸命に為すべきを為すならば、いかなる困難に出会うとも道は必ず開けてくる。成功の要諦は、成功するまで続けるところにある」と。

 この言葉をいつも唱えていた塾生の時には分からなかったのですが、29歳の時に街頭に立つようになって、毎朝毎朝、街頭演説を続けて、そして、選挙に当選することができました。「継続するということは大事なんだな」と、「常に志を抱きつつ懸命に為すべきを為すならば」の一端は分かったような気がしたのですね。

 けれども、選挙で負けてしまったことがありました。しかし、負けた翌日も街頭に立ったのです。その時に、もっと分かってきたのですね。負けたけれども、続けていると、0.5ミリ、1ミリ進んでいる感じがだんだんまた出てくるのですよね。

 「諦めたときが失敗」という考え方じゃないですか。私も政治家として諦めそうなときは何回もありました。落選したり、もう引退しなければいけないかなとか、身を引かなければいけないかなと考えた時はありますけれども、でも、素志貫徹なのです。朝礼でいつも言っていたことがふとよみがえる瞬間があって、「もうちょっと頑張ろう」と思っているときに道が開けてくるということを、何回も実感させていただきました。

 いま思うと、五誓でいったらきりがないぐらい一つ一つエピソードがあるのです。「万事研修の事」。「見るもの聞くことすべてに学び・・・万物ことごとく我が師となる」と、「かっこいいこと言っているけど、本当かよ」と当時は思っていたのです。でも実際、先ほど言ったように、私は選挙に落選したじゃないですか。落選なんてしない方がいいなと思っていたけれども、落選をして1票のありがたみというのがよく分かるようになりました。

 たまたま朝起き会に行った時、朝顔のエピソードの話を聞いたのです。早朝に可憐な花を咲かすには、何が必要か。普通は陽の光だと思うのですけれども、「陽が当たる前の夜の闇と夜の冷たさが大事だ」と。ずっと順調に選挙に通っているときは、それを知らなかったのです。

 それを知ったことで、私は政治家として一皮むけたと思います。今になってみれば、落選したから分かったことで、勝ち続けていたら多分分からなかったでしょう。負けない方がいいと思いますし、負けなくて分かった方がいいと思いますけれども、「万物ことごとく我が師となる」というのは、何か激烈な体験を通じて、突破したときにようやく意味が分かる言葉だったりします。こういうことは本当に、きりがないぐらいありますね。


●~卒塾メッセージ~すぐに文部大臣をやれるくらいの識見を


野田 私自身は、この政経塾に政治家を志して入りました。その気持ちは今も変わっていません。五誓の中に「素志貫徹」という言葉がありますが、とりあえずはここまでは続けています。そして、さらに卒塾してから、この言葉をかみしめて、活動していきたいと思っています。

 塾長はこの塾をつくられた当初、「5年後には、文部大臣とかそういう口が外からかかってくるようにならなくてはいけない」とおっしゃいました。


※1980年4月1日 松下政経塾入塾式 松下幸之助 式辞より

 そして、3年たてば、一応の仕上げができる。それで、あと2年間は街頭に出てやる。いろいろなことをやる。そして、全ての点にわたって見識を養っていきたい。早く言えば、仮に、すぐに文部大臣なら文部大臣をやれと言われても、文部大臣をやれるというぐらいの識見が持てなくてはいけない。それはみんなできるはずだ。そういうことは十分にできるはずだ。


野田 私はようやく地元の皆さんから「ぜひ政治家になってください」と、ごく一部ではありますけれども、そういう声を聞けるようになりました。こうした積み重ねで、なんとか、歩みは遅いのですけ...
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