●「イスラムとアメリカ」を考え始めた頃
皆さん、こんにちは。現代世界では、アメリカとイスラム、あるいはアメリカ合衆国の市民の中に存在するイスラム教徒、こうした「イスラムとアメリカ」という組み合わせについて、なかなかこれまで知られる機会が少なかったわけです。
私はずっと以前に「イスラムとアメリカ」という問題に関心を持ったことがありました。1992年から1年弱、ハーバード大学に研究留学で滞在した際のことです。私は、常に中東研究者あるいはイスラム学者として「イスラムとアメリカ」の関係に関心を持ち続け、さらにアメリカ国内のイスラム教徒はどうなっているのだろうかという疑問を持ったわけです。
帰国後、私は『イスラムとアメリカ』と題する本や、「トクヴィルとイスラム」といった論文を書きました。トクヴィル、すなわちアレクシ・ド・トクヴィルは、『アメリカの民主主義』などを書いたフランスの外務大臣経験者であり、かつ19世紀フランスの自由主義思想家で知られている人物です。こういう人の目を借りてアメリカを考えようとしたり、あるいは日本人の学者として「イスラムとアメリカ」を歴史の観点から考えようとしました。
●学問対象ではないと言われた「イスラムとアメリカ」
1992、93年当時、あるいは本の出た1995年頃、この問題について議論する人は国際的に非常に稀でした。日本でそうしたものを書いた時に、友人たちは私を混ぜっかえして、「イスラムとアメリカなんか、何も関係ないじゃないか。何でそんなイスラムとアメリカを問題にするんだ」という声を浴びせましたが、それはまだいい方でした。「何も問題のない『イスラムとアメリカ』論といった学問的に何の対象にもならないようなものに対して、山内はなぜ関心を持つのか」という、非常に冷笑的な反応もありました。
私は、湾岸戦争というものを虚心に眺め、中東におけるアメリカのプレゼンスの大きさ、エネルギーや地域安全保障における役割を考えた際に、それを文明論的に見ていけば、「イスラムとアメリカ」という対になる関係を考察対象にするのは、社会科学者として当然念頭に浮かぶことではないかと思った次第です。
しかし、当時の日本には、アメリカとイスラムを結び付けて考えたり、あるいはアメリカの外交政策がイスラム世界にどのように向けられるのかといった問題関心から...