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アメリカのムスリムのうち3分の2は移民

「イスラムとアメリカ」再考~米国内のイスラム教徒(4)ムスリム移民、4つの波

山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/武蔵野大学国際総合研究所客員教授
情報・テキスト
歴史学者・山内昌之氏による「イスラムとアメリカ」に関する連続レクチャー第4弾。山内氏によれば、近代のイスラム移民は時代ごとに4つの波に大別されるという。そこにはその時代なりの背景があるのだが、ここ150年ほどのスパンで見ると移民の質が大きく変化していることが分かる。果たして「アメリカのイスラム」はどう変化したのか?(全8話中第4話)
時間:12:37
収録日:2016/06/01
追加日:2016/07/21
カテゴリー:
≪全文≫

●アメリカのイスラムの多くは大シリアからの移民


 皆さん、こんにちは。

 アメリカにおけるイスラム、あるいはムスリムについてお話ししてまいりました。アメリカに住むムスリムのうち、およそ3分の2は移民、あるいは移民の2世ひいては3世たちです。19世紀末にアメリカに来たムスリムの移民は、当時中東を支配していたのはオスマン帝国でしたが、そのうち、現在のシリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナに当たる地域からやってきました。

 もともとオスマン帝国時代、現代の内戦が起こっているシリアや地中海岸のレバノン、そしてイスラエルが建国されてパレスチナ問題をつくりだしたパレスチナ、あるいはパレスチナの東側にあるヨルダン、こうした地域は、まとめてスリア、あるいはアシャームとアラビア語で呼び、すなわち「シリア」を意味した地域でした。

したがって、かつて大きなシリア(大シリア)から来たアラブ人のキリスト教徒と並んで、アラブ人のムスリムたちがいたということになるのです。


●第一の移民の波~故郷に錦を飾る夢を見る人たち


 彼らは、第一の波、第二の波から、第三、第四の波ともいうべき区切りによって、21世紀に至る今日まで、段階的にアメリカにやってきました。その第一の波は1875年頃に押し寄せてきました。彼らはアメリカの中西部のトレド、デトロイト、ミシガンシティ、シカゴなどに定住しました。

なぜ、こういう地域に定住したのでしょうか。それはシカゴやデトロイトなどでよくお分かりになるように、工業中心地であったからであり、彼らの低廉な賃金によって労働力を吸収しようとした企業などの思惑が一致したからです。

 もともとこうした人々は、基礎的な教育や職業訓練を受けていなかったため、社会的上昇と、経済的な成功による高い収入を求めようとしたわけなのです。中東にいては一生かかっても得られないような高い賃金を、彼らは5年、あるいは10年もしないうちに獲得することができました。そうして5年ほど働いて中東に帰ると、そこでは夢のような巨額の富になって、お店を開いたり仕事を始めたりして成功者になったわけですが、一部の人たちはアメリカに残ったわけです。したがって、成功の機会は一部の人たちに限られていました。彼らの多くは依然として季節労働者、工場や鉱山の労働者、行商人といった肉体を酷使して働くか、あるいは食料雑貨品を扱う商人や小売店主、小商人といった薄利の仕事に満足しなければなりませんでした。

 当時の基準ではイスラム教徒であるという特殊な境遇のせいもあり、アングロサクソンをはじめヨーロッパ的な価値、プロテスタンティズムというようなものが中心のアメリカ社会に同化することがなかなか難しかったのです。社会的統合に難色を示した人々、あまり乗り気でない人々は、どうしてもいきおい、自分たちだけで自分たちの絆を維持しがちでした。先ほど申しましたように、彼らの夢はアメリカではなく、仲間内だけで成功し、そして中東に帰ること。つまり、一旗あげて中東に帰り故郷に錦を飾るということが普通だった時代でもあるのです。


●「200トルコリラ」の夢を求めてアメリカへ


 イギリス人の中東に関わる専門的な文筆、著述をした人にガートルード・ベルという女性がいます。このガートルード・ベルはアラビアのロレンスの女性版といわれるほどの傑物でしたが、彼女は『シリア縦断紀行』という著書の中で、1905年の早春、エルサレムの近郊で会ったあるアラブ人について語っています。

その人物は「ほとんど裸同然であって脱げかけた靴をひきずり、そして肩からずり落ちそうな破れマントを被って、砂漠用の頭布にラクダの毛を編んだ縄を巻いていた」というように素描されています。彼女が描くこの人物は、「ここにいては、うだつが上がらない」とベルにこぼしました。そして、ベルに対して「アメリカに出かけていって商売を始めて、200トルコリラくらいのドルを貯めて帰ってきたい」と夢を語ったのです。

 こうした話は当時、シリア中いたるところにあったと言われており、年々何百人という人が故国を後にしますが、例えば安物の商品をアメリカで売り歩いて橋の下で眠り、そして自由の身に生まれたアメリカ市民なら耳にもしないような食べ物で日々を暮らし、その刻苦奮励の結果、200トルコリラ相当のお金を貯めて故郷に帰ってくる。そうすれば、私が先ほど語ったように、故郷の村の物差しでいえば大金持ちといってもよい身分になれる。そういう経験をした人たちが、19世紀の末から20世紀にかけてはいたということになるのです。


●絶望的貧困による第一波の人口移動


 いずれにしても今、内戦、内乱で苦しんでいるシリア人難民よりも一世紀以上も前に、こうした貧しい中東・シリアのムスリムたち...
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