●コロンブス以前にイスラム教徒がアメリカに来ていた可能性がある
今回で3回目になりますが、「アメリカのイスラム」というテーマは必ずしも特殊な問題ではないということです。それどころか、アメリカの文化と政治に対するイスラムの影響は、テロの問題と絡みながら色濃くなっています。そして、実際にはテロとまったく無関係な市民たちがイスラム教を信じている、それだけの理由で迫害されたりするという点に、アメリカの今の政治と社会の非常に複雑な様相があるわけです。
そこで、地味な努力でありますが、私はアメリカにおけるイスラムについて少し触れてみたいと思います。一部の歴史家たちの中には、15世紀(1492年)にコロンブスがアメリカ大陸に到来し、そして西アフリカからカリブ海に奴隷が輸出される、そうした時代よりもっと以前に、実はイスラム教徒がアメリカ大陸に来ていたのではないかという説を出す人たちも出てきています。つまり、ヨーロッパから白人、キリスト教徒たちが来る前に、イスラム教徒が来ていたという可能性があるということです。
●イスラムの出自を伏せて大量に到来したモリスコたち
確かなことはこういうことです。イベリア半島において、イスラム教徒の水夫(カコ)、水先案内人、いわゆるパイロットたちがスペインやポルトガルによる大航海時代にアメリカ大陸に来ていました。すなわち、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼランといった人々がインド、または西インド諸島、太平洋を冒険する大航海時代の中で、確実にアメリカ大陸やアメリカ近辺のカリブ海の島々に、ムスリムが来ていたということです。
日本においても、種子島に鉄砲が伝来したり、フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝道するためにたどり着いた時、その船の船員や水夫の中に、明らかに東南アジアや南アジア出身のイスラム教徒がいたということは、私の見るところほぼ確実であると思います。ただ、資料の中に名前が出てこないだけです。
イベリア半島の話にもう一度戻りますと、例えば16世紀には、数千人の単位でモリスコと呼ばれる人たちが、明らかにアメリカに来ていたはずです。モリスコというのはもともとアラビア語ですが、イスラム支配を覆してイベリア半島を統一したフェルナンドとイザベラという夫妻によってつくられたスペインのキリスト教、カトリック国家の下で迫害され、1492年以降イスラム教徒であるアイデンティティを隠さざるを得なかった、あるいはイスラム教徒であるということを秘匿するような人々をモリスコと呼んだのです。
このモリスコたちが、同じようにスペインやポルトガルの船舶とともにアメリカに来ていたことは確実です。ところが、彼らは迫害や、やがては同化によって、アラビア語を忘れ、アラビア語の痕跡をとどめませんでした。スペイン語の中にはご案内のようにアラビア語起源の言葉がたくさん残っていますが、そうした中に痕跡を残しつつも、アメリカの歴史の中からは姿を消してしまったのです。
●一枚の地図が示すムスリムによるアメリカ発見の可能性
しかし、モリスコの足跡は16世紀に別のところから確認されています。オスマン帝国の提督であった人でピーリー・レイースという人物がいます。このピーリー・レイースは1554年に没したことが確認されていますが、地中海を押えていたオスマン帝国の海軍がジブラルタル海峡を越えて大西洋に出たことも確認されています。その時、彼はアメリカ大陸の地図を描いています。つまり、アメリカ大陸の最初の発見者はコロンブスといわれていますし、アメリゴ・ヴェスプッチもまた発見者であるとされていますが、オスマン帝国のカピタル(提督)がやはりアメリカにたどり着いていた、ということも語られているのです。
今、ピーリー・レイースがアメリカへの関心を持ち、そこにたどり着いたと言いましたが、これは言い過ぎでした。たどり着いたという事実は確認されていませんが、そうした関心を地図として表したことは事実です。のちほどその地図をお見せしますが、こういうピーリー・レイースの地図に見られるように、アングロサクソンより早いムスリムによるアメリカ発見があったかもしれない、という仮説にたどり着くのです。
ピーリー・レイースは各地の海洋や沿海の探索をし、海深の測量をしています。それに当たって、有名な『海洋の書』という書物を作成し、アメリカ大陸の陸地や島々に関する最古の地図をつくった人物として、イスラム史で知られているのです。
●奴隷貿易で連れてこられた4分の1がムスリムという説
他方、アメリカへのムスリムの集団移動が一番知られているのは、17世紀から19世紀にかけて起こった有名な事件です。それはなんと、アフリカから大量に奴隷貿易で連れてこられた不幸な人々のうち、...