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キリスト教の愛の種類「エロス・フィリア・アガペー」とは

キリスト教とは何か~愛と赦しといのち(6)聖書とはどんな書物なのか

竹内修一
上智大学神学部教授/カトリック司祭(イエズス会)
情報・テキスト
ペトロ(聖カタリナ修道院所蔵)
エロス、フィリア、アガペー。これはどれも、キリスト教で「愛」を示す言葉だ。上智大学神学部教授・竹内修一氏によれば、この意味の違う愛をめぐっては、イエスと弟子の間ですらもすれ違いがあった。しかし師イエスは、弟子を赦し、彼らに伝道を託した。たとえ相手が間違っていても、相手を赦す。これこそが、キリスト教の愛だ。(全6話中第6話)
時間:14:10
収録日:2016/12/26
追加日:2017/04/04
カテゴリー:
≪全文≫

●三つの異なる「愛」


 新約聖書を読んでいると、確かに日本語でいう「愛」という言葉が、翻訳として何回も出てきます。しかし正確には、主に三つの言葉が使い分けられています。厳密に分けられるというよりも、おおむねです。3種類あって、一つは「エロス」という言葉です。現代語でのエロチックにつながるものです。次が「フィリア」という言葉、もう一つが「アガペー」という言葉です。

 少し大ざっぱな言い方ですが、エロスとは人間が何かを求める動きです。自分の中にはまだ満たされていないものがあり、それを求めようとする欲求をエロスとして考えていいと思います。フィリアとは、よく哲学で「友愛」、友の愛と訳されます。イメージで言えば同等関係のようなものです。三つ目のアガペーは、先ほどのエロスとは向きが逆のものです。自分が何かを求める、自分のところに何かを持ってくるというよりも、自分が与えるということです。たとえ相手が何かをしてくれなくても、ひたすら自分が与える。これがアガペーであるという理解でいいと思います。新約聖書の中では、今述べたような意味で、エロス・フィリア・アガペーが区別されています。

 以前の講義で引用したヨハネの福音書13章34節の言葉、イエスが弟子たちに新しい掟を与えるところは、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」でした。ここで使われている「愛」はアガペーです。「究極的な愛」と言ってもいいアガペーです。ひたすら与える、「友のために命を捨てる、それ以上に大きな愛はない」というところがアガペーなわけです。


●イエスとペトロですれ違う「愛」


 さらに1箇所、面白いところがあります。イエスが復活した後、弟子のリーダーであったペトロと会話をしたところです。イエスが復活した後、弟子たちと食事をする場面のことです。

 「食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、『ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか』と言われた。ペトロが、『はい、主よ。わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは『わたしの子羊を飼いなさい』と言われた。2度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか』、ペトロが『はい、主よ。わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは『わたしの羊の世話をしなさい』と言われた。3度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか』。ペトロはイエスが3度もわたしを愛しているかと言われたので悲しくなった。そして言った。『主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っています』。イエスは言われた。『わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは若いときは自分で帯を締めて、行きたい所に行っていた。しかし年を取ると両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくない所へ連れて行かれる』。ペトロがどのような死に方で神の栄光をあらわすようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに『わたしに従いなさい』と言われた」。

 イエスがペトロに対して、「あなたはわたしを愛しているか」と、同じ言葉で3回問いかけます。なぜ3回なのか。それは、イエスがローマ兵に捕まって殺される前の話が関係しています。「あなた(ペトロ)はわたし(イエス)を3回知らないと言うだろう」、「鶏が鳴く前に3回わたしのことを否むだろう」というイエスの言葉があります。ペトロはそう言われて、「そんなことはない」と見栄を切るのですが、実際には3回「私はあの人のことなんか知らない」と言ってしまいます。そうしたら鶏が鳴いた。こういう場面があり、それが伏線になっているのは間違いないと思います。

 イエスは自分を裏切ったペトロに向かって「あなたはわたしを愛しているか」と言う時、「愛している」に使われているのが、アガペーです。正確にはアガパオーですね。ところがペトロの答えは、フィレオーです。すなわちフィリアです。だから、イエスはアガペーのレベルで聞いているのに、ペトロはフィリアのレベルで答えているのです。二人のやり取りは噛み合っていないのですが、ペトロにはそれが分からないのです。だから3回とも、ペトロはフィリアで答えます。イエスはそれでどうしたか。もうそれでも良しとしたと思います。今はまだ、ペトロはアガペーの域まで達していないと考えたと思います。まだこれからなのだろうと考えたはずです。

 ペトロは、自分の望まないところに連れて行かれます。どういうことかという...
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