●コメットの事故は胴体の金属疲労が原因である
次に、金属疲労で墜落したコメットのことをお話しします。コメットは、戦後イギリスで開発された世界初のジェット旅客機です。初飛行は1949年、就航は1952年です。世界初のジェット旅客機ということで、非常に注目を集めました。ロンドンから南回りで羽田までの就航も始まっていました。
ところが1954年1月10日、ローマのチャンピーノ空港を離陸したコメットが、地中海上空で行方不明になったのです。当初は破壊工作、つまりテロも考えられました。遺体と部品は地中海から回収されましたが、はっきりした原因は特定されませんでした。
事故後に取られた対策は60以上だったといわれています。3月23日には運行が開始されましたが、しかし4月8日に、同じローマの空港を離陸したコメットが、再び地中海上空で墜落事故を起こしました。イギリス政府は徹底的な事故原因究明を開始するために、地中海から破壊されたコメットの部品を回収し、地上でそれを組み合わせました。結果的に、胴体の金属疲労が原因だと判明しました。
●設計当初の疲労破壊の見積もりが全く正しくなかった
零戦のフラッターの原因ともなった金属疲労とは、どういうものでしょうか。金属は繰り返し力をかけると、非常に弱くなって疲労破壊を起こします。通常の金属である鋼材は、板厚を上げて、かかる荷重を小さくする設計にすれば、疲労を防ぐことができます。これは「疲労限度がある」という言い方をします。ところが、航空機の材料として多用されるアルミ合金(ジュラルミン)には、こうした疲労限界が存在しないということが知られています。つまり、どんなに小さな力であっても、何度も力がかけられれば疲労し、壊れてしまうということです。
胴体が疲労破壊を起こすのには理由があります。ジェット旅客機が飛行する成層圏は、気圧が大気よりも非常に低くなっています。酸素濃度が下がって乗客を不快にしないためには、胴体の中で与圧、つまり高い圧力をかけなければなりません。そして、機体が着陸すると与圧は下がります。つまり、飛行時には与圧し、着陸時には与圧を解除するのです。こうして離着陸を繰り返すうちに、疲労試験を行っているのと同じ状態になるわけです。
イギリス政府は、コメットの事故はこうした金属疲労が原因だったと考えました。そこで、コメットの胴体を水槽...