●NTSBの事故調査方法は「パーティーシステム」
ハザード分析によって運行に対する危険が低減されるのですが、事故は起こり得ます。事故後にはその原因を調査して、それを役立てるということが重要になってきます。
ここではアメリカ国家運輸安全委員会(NTSB)の歴史について、簡単に見てみましょう。1956年、米国のグランドキャニオン上空で2機のプロペラ旅客機が空中衝突するという、悲惨な事故がありました。
これを受けて1958年に連邦航空局(FAA)が設立され、1967年には、航空以外の道路、鉄道、船舶、パイプラインの事故調査を行うNTSBが設置されます。設立当時のNTSBはアメリカ運輸省の一組織でしたが、1975年には独立した組織となり、中立的な立場での事故調査が可能になりました。
事故調査の第一の目的は再発防止です。NTSBが、FBIなどの他の機関に対して優先権を持つのは、そのためです。事故調査の方法には、事故関係当事者も参加させる、「パーティーシステム」と呼ばれる独自の方法が採用されています。これは、その機体について最も詳しい知識を有するのは当事者だ、という考えに基づいています。
調査結果はFAAなどの政府機関に対して「勧告」という形で行われます。そのため、中立性が求められるわけです。1996年からはNTSBは事故犠牲者や遺族への対応やケアも行うようになりました。
●事故報告を受けてFAAは耐空証明を改定した
次に、日本の航空機事故調査の体制を見てみましょう。1971年に起きた全日空機雫石衝突事故を機に、1974年に運輸省の審議会等として航空事故調査委員会が設置されました。航空事故調査委員会は、2000年の日比谷線脱線事故を機に、2001年に航空・鉄道事故調査委員会へ改称され、2008年には海難審判庁を統合して運輸安全委員会となりました。組織的にも独立行政委員会となり、権限が強化されたわけです。
こうした事故調査の役割について、実例を用いて幾つかご紹介したいと思います。1996年、ニューヨークJFK空港を離陸したTWA800便B747型機は、大西洋上空で空中分解をするという大きな事故を起こしました。当初テロやミサイルなどが疑われましたが、2000年に発表された事故調査報告書では起こり得る原因として、中央翼の燃料タンクの圧力が過大となり破壊が始まったと結論付けています。中央翼は胴体を貫通している翼です。写真は、大西洋から引き上...